子どもでも旦那になれる!仏教に教えられる「旦那」本来の意味とは
「旦那」の語源は仏教にあり
NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』で、「なぜ夫のことを『旦那』と呼ぶ?」という疑問が取り上げられました。
よく使われる言葉なので頻繁に耳にしたことのある方も多いのではないでしょうか。
番組内でも解説されていましたが、「旦那」の語源は実は仏教にあるのです。
もともとはどのような意味があったのでしょうか?
「旦那」の語源は、サンスクリット語で「布施をする人」という意味の「ダーナ」です。
布施をする人とは、お金や物を他人に与える人のこと。
臓器移植などで「提供者」を意味する「donor(ドナー)」という言葉もここから来ています。
お釈迦様が説かれた幸不幸の原因と結果
仏教を説かれたお釈迦様は、生涯かけて「因果の道理」を教えられました。
因果の道理とは、どんな時代でもどこにいっても変わらない原因と結果の関係を教えられたもので、お釈迦様は特に私たちの幸不幸の原因と結果について説かれています。
「善因善果 悪因悪果 自因自果」
(善い行いは善い結果、悪い行いは悪い結果を引き起こす。自分のまいた種の結果は、すべて自分に現れる)
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
お釈迦様が勧められた善
善い行いをすれば幸せに恵まれる。
悪い行いをすれば不幸や災難に見舞われる。
そのように教えられるのが因果の道理ですから、この教えがよくわかると「悪いことをやめて善い行いをしよう」という気持ちになります。
お釈迦様はそれを「廃悪修善(はいあくしゅぜん)」と言われています。
しかし、善を行うにもどんなことが善い行いなのかわからなければ行いようがありません。
そこで、お釈迦様は「このようなことが善い行いだ」とたくさんある善を6つにまとめて教えられています。
それが「六度万行(ろくどまんぎょう)」です。
六度万行についてはこちらの記事をご覧ください。
主人が「旦那」と呼ばれるわけ
6つの行いの中でも1番最初に挙げられているのが「布施」です。
「普施」とも書き、広く人に施すことを言われます。
冒頭、布施をする人とはお金や物を他人に与える人であると書きましたが、お金や物に限らず、笑顔でも労働力でも、与えられるものはたくさんあります。
お金や物がなくてもできる布施については、こちらの記事をご覧ください。
一家の主人が「旦那」と呼ばれるのは、一生懸命働いて家族を養う「布施をする人」だからなのでしょう。
今でこそ旦那と呼ばれるのは一家の主人だけですが、本来の意味からすると、家族のために家事や育児を頑張っている奥さんも旦那と言えるのではないでしょうか。
また、子どもであっても、与えることを心掛ける人は誰でも旦那になれるのです。
「ガキ」も仏教の言葉
一方、子どものことを表す「ガキ」という言葉がありますが、実はこれも仏教の言葉です。
強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が行くところを餓鬼(がき)界と仏教では教えられています。
「自分さえよければいい」という心をむき出しにした人を表現しているのです。
子どもは自分が一番で、わがままを言っては親を困らせたりします。
食べたいものを好きなだけ食べ、やりたいことを自由にやり、叱られると大きな声で泣く。
まさに「自分さえよければいい」を体現しているのが子どもです。
それで、子どもを「ガキ」という場合があります。
「ガキ」は本当に子どもだけ?
しかし、これは何も子どもに限ったことではありません。
人を押しのけてでも自分の欲しいものを手に入れようとしたり、自分の思い通りにならないことに腹を立てている姿は、まさに「自分さえよければいい」という心を表しています。
こういった心を「我利我利(がりがり)」と言われ、仏教では最も嫌われる心です。
そして、この心はすべての人にあるとお釈迦様は教えられています。
ともすれば自分が一番になってしまう私たちですから、他人に施しをするということは、本来とても難しいことなのです。
ですから、心掛けて布施をできる人は「旦那」と呼ばれ慕われてきたのでしょうね。
仏教では、他人の幸せを願って行動するままが自分の幸せとなるという「自利利他」の精神を勧められます。
自利利他とはどういうことかについては、こちらの記事をご覧ください。
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