浄土真宗では位牌はどうすればいいの?
亡くなった方の法名や戒名などを記した位牌。
位牌を供養のために仏壇に安置されることが多いですが、仏教の多くの宗派で位牌が用いられる中、浄土真宗には位牌がありません。
なぜ浄土真宗では位牌を用いないのでしょうか。
また位牌が無いならば先祖についてどのように教えられているのでしょうか。
(質問):浄土真宗では、位牌はどうすればよいのでしょうか。浄土真宗以外の仏教では置かれているようですが
(解答)
葬儀を行うと、四十九日までに位牌を準備することが当たり前のように思われていますが、浄土真宗では位牌は必要ないとされています。
浄土真宗以外の仏教では、追善供養の対象として位牌を用意します。
平成28年11月21日の朝日新聞に「位牌 私の死後は?」という記事が載っていました。
そもそも位牌とはどういうものなのだろうか。
「葬儀と日本人-位牌の比較宗教史」(ちくま新書)著者、菊地章太・東洋大学教授によると、位牌の原型が登場したのは紀元前3世紀ごろの中国だという。
仏教は紀元前5世紀ごろにインドで生まれたが、魂があの世からこの世に何度も生まれ変わるという「輪廻転生」を教えるインド仏教には墓も位牌もなかった。
位牌を「故人の魂が宿るもの」と位置づける葬儀作法は、中国で唐の時代に生まれた禅宗が徐々に確立させてきたという。
日本に禅宗が伝わったのは鎌倉時代で、そのころから位牌も登場する。
室町時代初期の僧の日記に「昔は位牌はなかった。(中国の)宋の時代から出てきた」という記述がある。
当初は将軍や高僧といった特別な人たちの葬儀のためのものだった。
室町幕府を開いた足利尊氏の位牌に刻む文字をどうするか相談する手紙が残っており、それを見ると、鎌倉時代に執権を務めた北条時頼や時宗の葬儀でも位牌を作ったことがわかる。
庶民の間に広まったのは江戸時代中期以降だ。
位牌のあり方は、地域により、また宗派によりさまざまだ。
(中略)
浄土真宗は、どうして位牌を作らないのを基本としているのか。
親鸞の教えを研究している人たちから教えてもらった。
第一に、親鸞自身が「父母の孝養のために念仏を唱えたことは一度もない」と言ったことだ。
「えっ」とたいていの人は驚いてしまうが、実はお釈迦様も「死んだ人に向かって読経しても意味がない」と言っている。
死んだ人の運命は本人の行い(業)で決まるもので、子孫がお経を唱えて変えられるものではない。
そもそも、お経は生きている人が幸せになるための教えを記録したもので、生きているときに聞いてこそ意味があるというのだ。
第二に、最善の供養とは先祖が喜ぶことをすることだからだ。親にとって何が一番うれしいかといえば、子が幸せに生きることだろう。
それには阿弥陀仏の本願を聞き求めればよいと、お釈迦様と親鸞は教える。阿弥陀仏の本願、つまり本当の願いとは、すべての人を幸せにしたいということ。
阿弥陀仏だけを信じて正しく幸せに生きようというのが浄土真宗の教えだという。
一方で、日本の多くの仏教宗派では亡くなった人の位牌を作り、仏壇の中に安置する作法が定着している。
実は、浄土真宗でも位牌を大事にしている人が少なくない。
その場合、仏壇の中に入れないようにしている人もいる。
元々仏教には位牌というものはなく、後の人々、特に禅宗の人たちが先祖供養のために作り出し、それが広まったものです。
浄土真宗では位牌を作っても意味がないと教えられるため基本的には位牌を作りません。
お釈迦さまや親鸞聖人はどのように教えられているのでしょうか。
お釈迦さまが説かれた『大無量寿経』(七千巻余りのお経の中で唯一の真実の経と親鸞聖人が教えられているお経)に『一向専念無量寿仏』というお言葉があります。
一向専念無量寿仏とは、無量寿仏に一向専念せよということです。
無量寿仏とは阿弥陀仏の別名ですから、阿弥陀仏一仏に向かいなさいという意味です。
阿弥陀仏について、知りたい方はこちらへ
お釈迦さまと阿弥陀如来は、同じ仏さまですか?
親鸞聖人の教えを、後世、一向宗といわれるほど、親鸞聖人は一向専念無量寿仏を徹底して教えられました。
浄土真宗が一向宗となぜ呼ばれるようになったのか
それで浄土真宗では、位牌だけでなくお仏壇の中には阿弥陀仏以外のものを置かないようになったのです。
私たちが先祖のご恩を思う時、先祖が私たちに一番望んでいることは何かを考えてみるとどうでしょう。
いろいろと思い浮かびますが、やはり子や孫の幸せではないでしょうか。
浄土真宗では、阿弥陀仏一仏に向かい、仏法を聞いて、本当の幸せになることが、本当の先祖供養であると教えられ、位牌は置かないのです。
さらに詳しく知りたい方はお読みください。
少し難しくなりますが、浄土真宗では、このように教えられています。
阿弥陀仏だけを強調された親鸞聖人
仏、阿難(あなん)及び韋提希(いだいけ)に告げたまわく、諦らかに聴け、諦らかに聴け、善く之を思念せよ。仏、当に汝が為に苦悩を除く法を分別し、解説すべし。(観無量寿経)
(意訳)
お釈迦さまが、お弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)と韋提希夫人(いだいけぶにん)に、「よくよく聴くがよい。その苦悩を除く法を説く」と告げられる。※韋提希夫人・・・当時、インドにあったマガダ国の王妃で、お釈迦さまの篤い信奉者でした。
観無量寿経の中で韋提希夫人は、空中に立たれた阿弥陀仏を拝見して救われています。
経文には、その時、阿弥陀仏の左右に観音菩薩(かんのんぼさつ)と勢至菩薩(せいしぼさつ)が立たれたと説かれていますが、親鸞聖人の著作ではあえて、観音菩薩、勢至菩薩を取り除いて、阿弥陀仏一仏が立たれたとなさっています。
その理由は、観音菩薩と勢至菩薩は、弥陀の慈悲と智恵を表しているから、阿弥陀仏一仏におさめられてのことであると覚如上人(かくにょしょうにん)は、こう説かれています。
今の行者(ぎょうじゃ)、錯って(あやまって)、脇士(わきじ)(観音・勢至)につかうることなかれ、ただちに本仏をあおぐべし(御伝鈔)
(意訳)
人々よ。間違って観音や勢至に仕えてはならない。阿弥陀仏一仏に向かいなさい。
別に分けて観音菩薩や勢至菩薩を安置すると、阿弥陀仏のほかに観音菩薩や勢至菩薩がいるように思って、それらに向かう者があるかもしれないと、親鸞聖人は思われたからです。
阿弥陀仏の慈悲と智慧を表す、観音菩薩と勢至菩薩ですら親鸞聖人は省かれたのですから、位牌を置くように言われるはずがありません。
親鸞聖人は、一向専念無量寿仏を徹底して教えられた方でした。
まとめ
位牌は先祖供養のために後世の人たちが作り出したもので、お釈迦様が位牌を作れと教えられたわけではありません。
お釈迦様は「一向専念無量寿仏」(阿弥陀仏一仏に向かいなさい)と教えられました。
そのため浄土真宗では位牌を作りません。
位牌を作っても先祖の供養になるわけではありませんし、位牌を仏壇に置くことで一向専念無量寿仏にならなくなってしまうからです。
今日、浄土真宗のことを一向宗とも言われますが、これは「一向専念無量寿仏」の「一向」から来ています。
詳しくはこちらの記事で紹介しています。
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