お釈迦さまの説かれた「お経」「経典」「仏典」とは
お釈迦さまの説かれた教えが書かれているものが「お経」とか「経典」とか「仏典」と言われるものです。
相手の話が難しすぎて何を言っているかわからないとき、「お前の言っていることはお経みたいだな」と言う人があります。
「お経」と聞くと、漢字ばかりで、何が書かれているかわからない難しいものと思われているからでしょう。
「お経」のことを「経典」とか「仏典」とも言われますが、同じことです。
漢字ばかりの「お経」には何が書かれているのでしょうか。
「お経」はお釈迦さまが直接、書かれたものではない
お釈迦さまは35歳で仏のさとりをひらかれ、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、教えを説かれました。
これを今日、仏教といいます。
しかしお釈迦さまは、一切ご自身で記録を残されませんでした。
それが今日「お経」の形で教えが残っているのは、お釈迦さまがお亡くなりになった後、高いさとりをひらいた五百人のお弟子たちが集まり、お釈迦さまの教えを後の人たちのために残そうと、まず代表の一人がお釈迦さまのご説法を「このように私は聞きました」と語り、その内容に間違いないか五百人で徹底討議して、全員一致した時だけ書記が記録していったと伝えられています。
これを「仏典結集(ぶってんけつじゅう)」といわれます。
お釈迦さまの説かれた教えの記録を「お経」「経典」「仏典」と言い、「如是我聞(にょぜがもん)(是くの如く我聞く)」で始まっているのはそのためです。
お釈迦さまが45年間、説かれた教えのすべてはお経に書き残されています。
お経は巻物となって残っていますので、1巻2巻と数えられます。
全部で7000巻余りあり、それを一切経(いっさいきょう)とか、たくさんありますので、八万の法蔵(はちまんのほうぞう)、あるいは一代教(いちだいきょう)(釈迦一代の教え)といいます。
なぜお経は漢字ばかりで書かれているのでしょうか
お釈迦さまはインドの方ですから、当時のインドの言葉で教えを説かれました。
それなのに、なぜお経は漢字ばかりで書かれているのでしょうか。
仏教は、後にインドから中国へ伝わりました。
その際に膨大な数のお経はインドの言葉から中国語に翻訳されたのです。
その翻訳作業をした人を三蔵法師と言います。
それがそのまま日本へ伝えられたので、お経はすべて漢字で書かれています。
それで今日の私たちは、2600年前に説かれた仏教を知ることができるのです。
どうすれば「お経」に書かれていることを知ることができるのか
とはいいましても、お経は漢字ばかりで書かれていますし、仏教でしか使われない言葉もたくさんあります。
7000巻余りのお経を全部読まないと仏教にどんなことが教えられているか知ることができないとしたら、お経を読んでもわからない私たちは一体どうすれば仏教を知ることができるのでしょうか。
実は、一切経を貫いている教え、すべてのお経の根底にある教えがあります。
それが仏教の根幹(こんかん)といわれる『因果の道理(いんがのどうり)』という教えです。
仏教の根幹とは、根幹とは、根や幹のことです。
仏教を木に例えると、根っこを切れば、木は枯れてしまいます。
幹を切れば、木は倒れてしまいます。
仏教の根幹である『因果の道理』がわからないと、仏教はわからないということです。
この『因果の道理』がわかれば、お経にどんなことが書かれているかを知る第一歩となります。
まとめ
「お経」「経典」「仏典」は同じものでお釈迦さまの教えをお弟子たちが書き残したものです。
お釈迦さまは昔のインドの言葉で教えを説かれましたが、それが中国に伝わったときに漢字に翻訳されたため、私たちが見るお経はすべて漢字で書かれているのです。
お経は7000巻あまりありますが、その根幹の教えが『因果の道理』です。
では『因果の道理』とは、どんな教えなのでしょうか。
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