親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁4 山も山 道も昔に 変わらねど
親鸞聖人の繁栄を妬み、弟子を取られたと怒り心頭して、聖人を殺害せんと親鸞聖人のいらっしゃる稲田の草庵に剣をかざしておしかけた弁円でしたが、「よく参られた」と手を伸ばさんかのような、聖人の慈悲温厚の眼差しに心打たれた弁円は、嫉妬と怒りに狂った己の行いを涙を流して悔いるのでした。
明法房と生まれ変わる
幾たびも親鸞聖人をつけ狙い、殺害を企てた弁円を、立場が逆なら私が殺しに行ったであろうと、親鸞聖人は哀れみ慈しまれました。
「まこと言えば親鸞も、憎い殺したい心は山ほどあり申すが、それを隠すに親鸞、ほとほと迷惑しておりまする」
弁円と同じ欲・怒り・愚痴の心を吐露される親鸞聖人。そして
「こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、との仰せの弥陀の本願じゃ。何の嘆きがあろうか」
と悪人正機の弥陀の救いを語られています。
殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、ともに仏法を弘める因縁になるのだと、命も惜しまれぬ親鸞聖人のお姿に、仏の大慈悲を感じた弁円は、陽春の雪のごとく害心が消えうせました。
親鸞聖人の御一代記である『御伝鈔』(覚如上人)には、こう書かれています。
尊顔に向いたてまつるに、害心たちまちに消滅して、あまつさえ後悔の涙禁じがたし。(中略)
たちどころに、弓箭をきり刀杖をすて、頭巾をとり柿衣を更めて、仏教に帰し。
弥陀の本願一つを説かれる親鸞聖人を怨敵と呪い、殺そうとした弁円ですが、悪に強いものは、善にも強し。光に向かって180度方向転換し、弥陀の本願宣布に挺身するようになりました。修験道の弟子や信者だった人にまで弥陀の本願を伝えたのです。
ガラリと生まれ変わった彼は、親鸞聖人から「明法房(みょうほうぼう)」の名を頂き、生涯、親鸞聖人を無二の善知識(先生)と仰いで、関東で仏法を伝えた24人のお弟子(二十四輩)の一人に名を連ねています。
山も山 道も昔に 変わらねど 変わり果てたる 我が心かな
ある日、板敷山のつづら折りの道を、親鸞聖人は明法房(弁円)とともに歩きながら、語りかけられます。
親鸞聖人「ここを通るのも、久しぶりだなあ」
明法房「そうでございますね」
過去の思い出が、親鸞聖人と明法房の胸中に交錯したことでしょう。しばらくしてふと親鸞聖人が振り返ると、彼の姿が見えない。親鸞聖人が案じて道を戻られると、道端にうずくまっていました。
親鸞聖人「どうした明法房。どこか悪いのか」
優しい聖人の言葉に、彼は頭を振る。
明法房「いいえお師匠さま。もったいのうございます。どこも悪い所はございませんが、在りし日のことが思い起こされまして……。この山で、この道で、お師匠さまのお命を、縮めんとしていた私が、どうして……、どうしてこのような不思議……」
こらえていた涙が一気にあふれ出る。
親鸞聖人「そうか。そうだったなあ」
聖人も昔を思い出し、山を見上げられました。
この時、彼の詠んだ歌が、
山も山 道も昔に 変わらねど 変わりはてたる 我が心かな
天地自然も道も、昔と何も変わらないけれど、わが心の何と変わり果てたものぞ。
明法房の変わりようには、周囲の誰もがビックリしたことでしょうが、いちばん驚いていたのは本人でした。それが
「変わりはてたる我が心かな」
己の心ながら何と変わり果てたものだなあと、本願力の不思議に驚き、懺悔と歓喜、あふれる謝恩の思いを歌っています。
(続き)
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