お釈迦様物語 仏弟子舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)の友情物語
お釈迦様物語 仏弟子・舎利弗と目連
押し寄せる人波、むせ返る往来。砂埃の舞う中、赤、黄、青……原色の男女が狂態を演じている。
観衆は大げさにはやしたて、時折交じる怒号を笑い声がかき消す。
誰もが踊りほうけ、笑い疲れて、フラフラになりながら、日ごろの鬱憤を吐き出そうとしている。
人々が躍動するそんな祭りの光景も、楽しめたのは初日だけ。三日目ともなれば、苦痛でさえある。
舎利弗(しゃりほつ)はふと周囲の親類に目を遣る。皆、微笑を湛えているが〝本当に楽しいのだろうか?〟一人つぶやいた。
視線を移すと、目連(もくれん)が真顔で遠くを眺めている。どうやら思いを共有できそうなのは彼だけのようだ。
声をかけると待っていたように座を立ち、連れ立って路地裏へ逃れた。
民家が肩寄せ合う裏道を数本隔てると、喧騒が遠くなる。一息ついて舎利弗は、傍らの石段に腰を下ろす。目連もすぐ隣に座り、無造作に言った。
「疲れたね。始めは面白かったけど……」
「うん。昨日から、あそこにいるのがつらくて仕方なかったんだ」
舎利弗が答えると、瞳を見開いて目連は聞いた。
「つらい?」
「ああ、だってそうじゃないか。今、あんなに楽しそうにしている人たちも、あと百年もたてば一人残らず──
もちろん君も僕も、きれいさっぱりこの世からいなくなってしまうんだぜ。信じられるかい?
でも、否定しようのない事実なんだ。こんなはかない人生、僕たちは何のために生きるんだろうね」
身をのり出した目連の、利発な目が輝きだす。
「そう、そうだよね。僕も同じことを考えていたんだ。すぐ色あせてしまう喜びに、心底、夢中にはなれないよ。
生きることには、もっとこう、本当の喜び、満足があるはずじゃないか。どうすればそれが手に入れられるか、僕はいつも考えているよ」
意見の一致に、舎利弗も気分が高揚する。
「同感だ。僕ら、今まで親しくしてきたのに、こういうこと話すのは初めてだね。そうだ、これからその道を一緒に探ろうじゃないか」
「出家か……それもいい。じゃあ、どなたを師と仰ごうか」
「そうだ、最近、この町にきたサンジャヤという先生を知っているかい?奇抜な議論をするというよ。一度、話を聞きに行ってみようか」
数日後、サンジャヤの門をたたいた舎利弗と目連は、たちまち師の主張の本質を理解し、すぐさまその教えを会得した。
並み居る秀才を抑え、門下で頭角を現すと、ともにサンジャヤの代理で説教を務めるまでになった。
だが、そんな異例の抜擢にも、舎利弗はさほど関心がない。それより、捉えどころのないサンジャヤの説では、生きる意味が一向に明確にならぬことに苛立ちを感じていた。
到底、真理とは思えぬ、と不満が次第に大きく膨らんでいった。
「先生の教えはこれが全てですか?真理とはこんなあいまいなものなのでしょうか?」
ついに舎利弗は師に詰め寄ったが、サンジャヤは答えない。
「先生から学ぶことは、もうないようだ。もう、ここにいる意味はない。他の師を探そう。そして解決の道を知ることができたなら、ともに教え合うことにしよう」
目連にこう告げると、舎利弗はサンジャヤに代わる明師を求め始めたのである。
幼友達の舎利弗と目連は、「生きる本当の意味」を知りたいと意気投合、町で評判のサンジャヤに師事する。だが、満足のいく教えは受けられず、二人は明師を求めてサンジャヤの元を去った。
「尊い先生にお会いできたら、一番に知らせ合おう」
目連と約束を交わした舎利弗が、ある朝、忙しくにぎわう町を歩いている。ふと留めた視線の先に、端正な顔立ちの托鉢僧を認めた。
健やかな肌の色、清潔な衣服、背筋をしゃんと伸ばして誰彼となく笑顔を交わしている。
立ち居ふるまいや身のこなしは軽やかだ。さりげない会話の端々にも徳が感じられるのか。接した誰もが表情を輝かす。舎利弗は、一目でただ人でないことを察知した。
「偉大な悟りを得ている人があるとすれば、あの方はその一人に違いない」
大いに心動かされた舎利弗だったが、すぐには声をかけなかった。
修行を邪魔して礼を失してはいけないと、距離を保ちながら、静かに僧の後についていった。
その間も出家は、周囲に笑顔を振りまきながら歩く。声をかけられた人々は、皆喜んで布施に応じていた。
〝この方はどなたに導かれて、あの気高い徳を体得されたのだろう〟
いよいよ舎利弗は知りたくなった。
町外れ、ようやく托鉢を終えた行者に、舎利弗は声をかけた。
恭しく先ほどから抱いていた問いを投げかけると、
「私は、大宇宙最高のさとりを得られた仏陀・釈迦牟尼を師と仰いでいます」
アッサジと名乗る僧は、最初の仏弟子の一人であった。舎利弗は重ねて尋ねる。
「仏陀・釈迦牟尼は、どのような教えを説かれるのですか」
「私は仏弟子となってまだ日も浅く、仏の法をすべて知り尽くしているわけではありません。
ただ、今、言えることは……この世の一切の事象は例外なく、因縁和合して生じたものである。
それは私たちの禍福も同様、自己の行為が因となり、縁と結びついて生じたもの。
この因縁果の理法こそ、仏の教えの根幹であると、世尊は常に説かれています」
それを聞いた刹那、舎利弗は、仏陀の教えこそ真理であると感知する。心の底から大きな歓喜が生じた。
〝おお……釈迦牟尼世尊こそ、私の求むる師に違いない。早くお会いしてご教導を受けなければ。何よりまずは目連に知らせよう〟
舎利弗が急ぎ目連に伝えると、彼もまた感動し、ともに手を取り合ってお釈迦様の元に赴いた。
サンジャヤの弟子、二百五十人が二人と行動をともにした。
大勢を引き連れて現れた舎利弗と目連をごらんになるや仏陀は、
「彼らはわが仏弟子の中の双璧となるであろう」
と仰せになった。そのお言葉どおり、二人は生涯、お釈迦様の教えに従い、教団の中心となって布教伝道に挺身したのである。
お釈迦様には、たくさんのお弟子がおられますが、特に優れた10人のお弟子を、釈迦の十大弟子といわれます。その中で、舎利弗は智恵第一、目連は神通力第一と称されています。
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