お釈迦様物語 我は心田を耕す労働者なり 働くとは「はたをらくにする」
35歳の12月8日に、大宇宙最高のさとりを開かれたお釈迦様は、波羅奈国の鹿野苑で、仏として初めての説法(初転法輪)をなされた。その後、仏陀の教化によって数十人が出家した。その仏弟子たちにお釈迦様はこう説かれている。
「修行僧たちよ、我は無上の法をさとった。人々の真の幸福のために歩みを進めよう。教えを説け。行いを示せよ。我もまた、教えを説くために旅立つであろう」
仏弟子たちは各地へ散らばって仏の教えを伝え始めた。お釈迦様も、道俗、貴賎、貧富、賢愚、老少、男女の別なく、あらゆる人々に無上の尊法を説かれたのである。
ある日、お釈迦様はお弟子たちを連れて、托鉢に出掛けられた。食料などの布施を鉢に受け、広く大衆と仏縁を結ぶためである。
赴かれた土地では、男たちが牛を励まし、鋤や鍬で田畑を耕していた。いずれも今日の糧や、近い将来の豊かな生活を得るため、額に汗して、一心不乱に大地と格闘している。
そんな人々を目当てに、乞食に精を出されるお釈迦様とその弟子たちは、やがて大勢の農民が仕事を終え、食事を広げているのを認めた。鉄鉢を持って黙然と立たれたお釈迦様に仲間の頭らしい男が気づき、周囲に目くばせしながら、からかうように言った。
「よく、あなたたちは来なさるね。どうです、そんなに大勢の働き盛りの若者たちを連れて、ブラブラ乞食したり、訳の分からぬ説法などして歩かないで、自分で田畑を耕して、米や野菜を生産したらどうです。私らは難しいことは言わないが、自分で働いて、自分でちゃんと食っていますよ」
“ものを生産してこそ労働ではないか”
丁寧ではあったが彼の言葉には、人々の施しによって生きる修行者たちへの軽蔑と、肉体を酷使して働くことへの自負とが、ありありと見えていた。
男の言うことを静かに聞いておられたお釈迦様は、従容として、こう答えられた。
「我もまた、田畑を耕し、種をまき、実りを刈り取っている労働者である」
意外なお答えに、不審をあらわにして男は反問する。
「ではあなたは、どこに田畑を持ち、どこに牛を持ち、どこに種をまいていられるのか」
お釈迦様は、毅然として喝破なされた。
「我は忍辱という牛と、精進という鋤をもって、一切の人々の、心の田畑を耕し、真実の幸福になる種をまいている」
「財は一代の宝、法は末代の宝」といわれる。金や財産は楽しみを与えてくれても、この世だけのことである。だが、仏法は、未来永劫、我々を本当の幸福に生かし切ってくだされる。
その真実の宝を施す以上の、素晴らしい労働があるはずがない。お釈迦様は、「我は心田を耕す労働者なり」の大自覚を持って、最高の労働に身命を捧げられたのである。
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