数珠・念珠の意味
(質問):数珠・念珠にはどんな意味があるのですか?
(解答)
数珠(じゅず)・念珠(ねんじゅ)とは、阿弥陀仏に合掌、礼拝する時に手に掛けるものです。
数珠・念珠は幾つもの珠を糸で結んでいます。
数珠を持たずに合掌することは仏様を手づかみにする失礼なことだとも教えられています。
珠数の一連をも持つ人なし。さるほどに仏をば手把にこそせられたり(蓮如上人)
「珠」は「108の煩悩」を表しています。
煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませるもので、
1人に108あると教えられます。
その中でも特に私たちを煩わせ悩ませるものが3つあります。
貪欲(とんよく)
瞋恚(しんに)
愚痴(ぐち)
これを三毒の煩悩といいます。
貪欲とは、欲の心で、なければないで欲しい、あればあったでもっと欲しいと、キリのない心をいいます。
瞋恚とは、怒りの心で、欲が妨げられた時に起きます。
愚痴とは、ねたみそねみ、恨み、憎しみの心です。
貪欲は青色、瞋恚は赤色、愚痴は黒色に例えられます。
日本昔話に出てくる鬼の色が青鬼、赤鬼、黒鬼なのは、この三毒の煩悩を表しているからです。
親鸞聖人は、私たち人間は、煩悩の塊であると教えられています。
「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。
(意訳)
人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、ねたみそねみなどの、塊である。これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。もちろん、断ち切れるものでは絶対にない。
煩悩の塊である私が、阿弥陀仏に救われると、
煩悩あるがままで本当の幸せになります。
煩悩の珠を「糸」が貫いているのは、煩悩がそのまま幸せとなる喜びを表現しているのです。
大切な数珠・念珠ですから、粗末に扱わないようにいたしましょう。
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