親鸞聖人・比叡山での難行── 煩悩との闘い
幼くして両親と死別なされた親鸞聖人は、
「次は私が死んでゆく番、死ねばどうなるのだろう」
と、迫りくる後生の救いを求めて比叡山・天台宗の門をたたかれました。
訪ね来た9歳の親鸞聖人に、比叡山の座主(ざす)・慈鎮和尚(じちんかしょう)は、出家の願いを承諾しましたが、得度の式(髪をそり僧侶になる儀式)は明日と言います。
そこで親鸞聖人は一首の歌を記し差し出されました。
「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
切迫した無常観に驚いた慈鎮和尚は、すぐに得度を行いました。
比叡山でのご修行
約800年前、親鸞聖人の時代の僧侶は特権階級でした。そのため地位を求めて入門する、目的のずれた人も多くありましたが、9歳で天台宗の僧侶となられた親鸞聖人は、仏教の目的である後生暗い心(死んだらどうなるか分からない心)を晴らすこと一点に照準が定まっていました。
天台宗とは、『法華経』に説かれる修行を実践し、煩悩と闘ってさとりを得ようとする教えです。
当時の比叡山は「女人禁制(にょにんきんぜい)」、男性だけが僧侶となり、入山を許可されていました。
今日も残る「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という難行は、12年間比叡山に籠もり、うち7年間は明けても暮れても、峰から峰を歩き続ける苦行です。
夜中零時前に起きて拠点を出発し、山上山下の行者道を30キロ歩く。その間に、堂塔伽藍や山王7社、霊石霊水など約300カ所で決まった修行を行います。始めの3年間は毎年100日修行し続ける。次の2年間は200日、翌年は100日、最後の1年は200日間と休まず修行しなければなりません。
途中の5年目には、9日間、比叡山の無動寺谷の明王堂に籠もり、断食断水、不眠不臥の「堂入り」と呼ばれる生死の境を切り抜ける荒行があります。
どんな天候、病気になってもやめられず、もし敢行できなければ、持参の短刀で自害するのが掟です。江戸時代には、多くの行者が自害しました。
合計1000日間に歩く距離は4万キロ、地球を一周するほどです。
親鸞聖人は、このような大難行に打ち込まれ、言語を絶する煩悩との格闘をなされたのです。
修行に挑んで知らされたこと
ご修行中の聖人が、こうつぶやかれていました。
「人間は煩悩に汚れ、悪しか造れない。だから後生は地獄とお釈迦様は仰る。私の心の中にも欲望が渦巻き、怒りの炎が燃え盛り、ネタミ・ソネミの心がとぐろを巻いている。どうすればこの煩悩の火を消し、後生の一大事を解決することができるのか。どうすれば……!」
*後生の一大事……永久の苦患に沈むか、永遠の楽果を得るかの一大事
私たちを煩わせ、悩ませ、罪を造らせるものを仏教では「煩悩」といい、一人が108持っていると教えられています。中でも、特に私たちを苦しめる、「貪欲(とんよく、欲の心)」「瞋恚(しんに、怒りの心)」「愚痴(ぐち、恨み・ねたみ・そねみの心)」の三つを「三毒の煩悩」といいます。
「貪欲」とは、金や物が欲しい、褒められたい、認められたいという欲の心です。無いときはもちろん、どれだけ有っても、もっともっとと際限なく貪り求める心です。
欲が妨げられると、出てくるのが怒りの心「瞋恚」。「あいつのせいで損をした」「こいつのために恥かかされた」と抑え難い瞋恚の炎で一切を焼き尽くしてしまいます。
「愚痴」は、因果の道理が分からず、人の財産や才能、美貌や権力などを妬み、そねみ、恨む心です。
(関連)
すべては自業自得
仏教では自分の運命は全て自分の行いが生み出す「自業自得」と教えられます。善い運命も悪いのも、みな自分がまいたタネの結果、誰を恨むことも、憎むこともできません。
幸せそうに笑っているライバルを憎み、不幸を願う醜い心が「愚痴」です。因果の道理が分からず悪を造り苦しみ続けているのです。
私たちはこれら「煩悩の塊である」とお釈迦様は仰っています。ゆえに、悪因悪果で苦しみ続けなければならないと教えられます。
どうすれば、煩悩の火を消し、永久の苦患から救われるのか。9歳から29歳までの20年間、親鸞聖人は『法華経』の厳しいご修行に打ち込まれましたが、抑えても払ってもどうにもならぬ煩悩と後生暗い心に泣かれるのでした。
(続き)
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