善知識・法然上人に会われた親鸞聖人
まことの仏教の先生(善知識)を求めて親鸞聖人は、夢遊病者のように、京都の町をさまよわれました。
そんな親鸞聖人に声をかけられたのは、かつて比叡山でともに修行をしていた聖覚法印(せいかくほういん)でした。
聖覚法印は迷いの闇を晴らす善知識ましますことを、親鸞聖人に喜び一杯伝えられました。
*比叡山……京都と滋賀の境にある山。天台宗の本山がある
あいがたき善知識
仏教で知識とは先生のことで、正しい仏教を説かれる先生を「真の知識」とか「善知識」といいます。
真の知識にあうことはかたきが中になおかたし(高僧和讃)
(意訳)
正しい仏教を説く先生にはめったに会うことはできない*高僧和讃……親鸞聖人がインド・中国・日本の七人の高僧を賛嘆された詩
800年前の親鸞聖人の時代と比べると今日は、飛躍的に科学が発達し、知りたい情報が世界じゅうから瞬時に得られる時代になりました。
スマートフォン1つあれば『広辞苑』も百科事典も、時刻表も地図も不要。
お母さんが頭を悩ませる晩ご飯や弁当のレシピもあれば、言葉の通じない外国語の翻訳もしてくれて、どこの国の情報でも調べられる時代です。
そんな時代だから、真実の仏法を説かれる先生に会うのも難しくないのではと思われますが、そこは今日も親鸞聖人の時代と変わりません。
答えの出せない「生きる目的」
アメリカのインターネット検索サービス会社が、こんな調査結果を公表しています。
検索サービスを始めてから10年間の質問を調べて、インターネットでは回答を得られない10の質問を公開しました。
トップは「生きる目的は何ですか」でした。
2600年前、インドでお釈迦様が徹底して明らかにされたのは、私たちの「生きる目的」一つでした。
まさしく「なぜ生きる」の答えが、仏教に教えられているのです。
そのお釈迦様の説かれた真実の仏教を伝える先生が、世界にたくさんおられるのならば、「生きる目的は何か」に対して無返答にはならなかったでしょう。
これは現在も、本当の仏教を説かれる方がいないことを雄弁に物語っています。
仏教と聞いて思い浮かぶのは、葬式や法事・読経を生業とする葬式仏教。
おみくじや護摩を焚いて、ゴ利益を振りまく祈祷仏教。建物や大仏を売り物にする観光仏教、また祖師の法要にかこつけて、金集めをする遠忌仏教などでしょう。
これらは真実の仏教からすると論外ですが、私たちを苦しめているのは欲や怒り・愚痴などの煩悩だと教え、それらとどう向き合い、人間関係を円滑に生きるかを説く僧侶は、今でも少しはあるでしょう。
しかし、後生暗い心の解決をして本当の幸せを得るという、生きる目的を明示される「真の知識」(本当の仏教の先生)は、雨夜の星ではないでしょうか。
日本にはコンビニの数の1.5倍ほどの寺院があり、一応38万人の僧侶がいるのに……です。
親鸞聖人が、その遇い難い真の知識・法然上人に巡り会えた有り難さを、このように喜ばれたのも深くうなずけます。
真の知識にあうことはかたきが中になおかたし(高僧和讃)
真実の仏法を教える、法然上人に巡り会えた親鸞は、なんと幸せ者であったのかの喜びのお言葉でもあるのです。
(続き)
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