お釈迦様物語|「祗園精舎の鐘の声」の祇園精舎が建立された経緯とは
コーサラ国の富豪・スダッタは、身寄りのない恵まれぬ人々に、多くの富を施してきたので「給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)」といわれている。
彼がお釈迦様と初めてお会いしたのは、マガダ国に住む妻の兄を訪ねた時のことだった。
いつもなら歓待してくれる義兄が、その日は玄関先で呼んでもなかなか出迎えに来ない。屋敷の中では、使用人たちが騒がしく走り回り、
「広間の掃除は終わったか。料理の準備はよいか」
と指示する義兄の声が遠くに聞こえるだけ。
〝何の騒ぎだ?婚礼か?それとも国王でも招待したのだろうか?〟
などと考えながら待っていると、義兄がようやく姿を見せた。
「やぁ、すまない。お待たせした。取り込んでいたもので……。実は明日、仏陀(ぶっだ)をわが家へご招待したのだよ」
義兄は事もなげに答えた。予期せぬ言葉に、一瞬、耳を疑った給孤独は、思わず聞き返した。
「──今、何と言われました?仏陀ですって?本当ですか?」
仏陀とは最高のさとりを開いた方をいう。かねて長者は仏陀の存在を知り、もしそんな方がましますなら、一度、教導を仰ぎたいと思っていた。
だが、それは想像上のことに違いない。
人は、現実の苦しみに汲々としながらも、耐えて生きていくだけなのだ、と半ばあきらめていた。
しかし、カピラの城主・浄飯王(じょうぼんおう)の太子・シッタルタさまが、無上のさとりを求めて出家し、仏のさとりを開かれた、と義兄は言う。
万人が本当の幸せになれる教えを、各地で説いておられる、と。
給孤独は、はやる気持ちを抑えて尋ねた。
「……明日は私も、仏陀のご説法をお聞かせいただけるのでしょうか」
「もちろん。明日の朝にはお会いできるでしょう。楽しみにお待ちなさい」
その晩、興奮の冷めぬまま床に就いた給孤独の胸には、さまざまな思いが浮かんでは消え、なかなか寝つかれなかった。
裕福な家に生まれ、幼少の頃から暮らしに困ったことはない。
そんな身の上に感謝はしているが、それ自体を幸せと感じたことはない。
そう聞けば〝ぜいたくだ〟と不快に思う人も多いだろう。だが、金や物の有無と幸福感は無関係なものなのだ。
現に、人も羨む大富豪の自分の心には、
「何かむなしい。なぜだろう?」
「この飢えた心にどんな滋養を与えたらよいものか」
という焦燥感が絶えず去来している。
それは持つ者にも持たざる者にも等しくある苦悩に違いない。
その焦りや渇きを解決したいと、彼はできる限りの慈善に努め、特に孤独な人へ多く施しをしたので、人々から「給孤独」と慕われ、称賛されてもきた。
だが、それによっても心底からの喜びはなかった。
一体どうすれば人生の歓喜を味わえるのだろうか。仏陀にお会いすれば、この願いはかなえられようか。
真実を求めるスダッタの思いは切実だった。
そんなことを考えながら、眠りに就く間もなく、夜は白々と明けてきた。
給孤独は待ち切れず、身仕度を整えて部屋を出る。
まだ薄暗い道を、仏陀の宿舎へ向かって歩き始めた。
しばらく歩くと、ちょうど昇りくる陽光を背にスッと背筋を伸ばして近づいてくる人影に気づいた。
〝あ、あのお方は……。もしや仏陀では……?〟
彼は、素早く歩み寄り、恭しく声をかけた。にじみ出るお徳から、そのお方こそ釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)だと確信する。
彼は仏足を取り、丁重に礼拝する。世尊は、全てを知り尽くしたように、給孤独を受け入れられた。
その場で人間の苦しみの原因と、その解決の道、仏の法を諄々と説かれた。
「人間の幸、不幸はどのように定まるか。善い行為は幸せを生み、悪い行為は不幸を招く。自分が受ける結果は、全て自分が生み出したものである。幸せになりたければ、悪を恐れ、光に向かいなさい」
初めて聞く真実のみ教えに魅せられた長者は、心に歓喜生じ、
「暗闇の中で一条の光を見いだした思いです。その素晴らしい法を、私の国にもどうかお伝えください」
静かにうなずかれる世尊。深々と頭を垂れ、給孤独は続けて申し上げた。
「世尊をお招きするにつきまして、何千もの人が集える大講堂と、お弟子方の滞在できる精舎(しょうじゃ)の建立をお許しください」
長者はその場で快諾を得、喜色満面で故国・コーサラへ帰った。
精舎建立の準備に、早速取りかかったのである。
義兄を縁に仏陀・お釈迦様と出会った富豪・スダッタは、故郷のコーサラに帰り、仏陀を招待する精舎(寺院)建立に動きだす。
まずは用地探し。
方々を当たり、祇陀太子(ぎだたいし)の土地が最適と見て、早速、譲渡を願い出た。
使用人が告げたスダッタという長者の名に、祇陀太子は聞き覚えがあった。
コーサラでも有数の資産家であり、多くの身寄りのない者に財を施して「給孤独」と呼ばれている。
〝さて……何の用件か?〟
訪問の意図が読めぬ太子は、警戒心で一杯になる。
若い頃から、利権を散らつかせて近づき、自分の立場や名前を利用しようとする輩に、何度もイヤな目に遭わされてきたからだ。
〝この男も、慈善の名の下、売名や儲け話を企んでいるのではなかろうか。どんなうさんくさい話をしてくるやら……〟
うんざりしながらも、部屋へ通すよう、使用人に促した。
現れたスダッタは、想像とまるで違っていた。穏やかな笑みを湛えた長者は、礼儀正しく率直に言う。
「太子さま。ぶしつけにも突然お伺いしましたこと、お詫び申し上げます。今日は、太子さまが郊外に所有なさっている土地をお譲りいただきたいと思い、お願いに上がったのです」
〝あの土地が欲しいって?一体何に使うのだろう?〟
給孤独の真意を量りかね、太子は即座に断りの言葉を口にした。
だが、想定内、とばかりに、長者はなおも熱心に続けた。
「なぜあの土地が必要なのか。今日はそれを知っていただきたいのです」
並々ならぬ熱意が感じられる。
〝今までの者たちとは少し違う。聞いてみようか〟
と心が動いた。
「実は先日、私は、マガダ国の義兄の家で、最高のさとりを開かれたという仏陀・釈迦牟尼世尊にお会いすることができました。
世尊は、全ての人が本当の幸せになれる教えを説いておられ、私は深く感動いたしました。
この国の人たちにも仏の教えを伝えたいと思い、お釈迦様にお越しくださるようお願いしました。
そこで、太子のあの土地に、仏陀が説法される精舎を、ぜひとも建立させていただきたいのです」
仏陀については、太子も以前、耳にしたことがある。だがそれは伝説上のことではないか。
かりにそんな尊い方がおられても、ただ話を聞くのに、あれほど広い土地が必要なのか。
コーサラにも優れた婆羅門(ばらもん)は多くある。
他国からわざわざ招かずとも、それら修行者や師を手厚く供養していけばいいのではないか。
太子の胸中の、そんなつぶやきを察してか、長者はこう続けた。
「仏陀は紛れもなく真如(しんにょ)より来現(らいげん)したお方。
(関連:如来と菩薩はどちらが偉いの?)
尊いお姿を拝見し、み教えを聞かれれば、他の修行者との違いは歴然でしょう。
そんな仏さまと同時代に生を受けることは、幾多の生死(しょうじ)を重ねても有り難いのに、今こうしてご教導を頂けることは何よりの驚きであり、喜びでございます。
万劫(まんごう)にも遇えぬこんな機会を逃すことはできません。
さればこそ、お迎えする土地も最高の場所にしたいもの。
町に近すぎては騒がしくて聞法(もんぽう)の邪魔になり、遠すぎては参詣者に不便です。
毒蛇や猛獣が出没する危険な場所は避けねばならない。
太子さまの樹林こそが最適なのです。市街からも近く、広さも十分。静かな森、澄んだ水の流れる小川、小鳥のさえずりが心を洗う豊かな環境に、すっかりほれ込みました。どうかお譲りいただきたい」
真摯に請う長者の言葉に、太子はしばらく言葉がなかった。
その熱意には、確かに打たれるものがある。
彼の話を聞いて、今すぐにでも仏陀に会ってみたいと思ったほどだ。
しかし、それと土地のこととは違う。あそこは譲りたくないのだ。何とか諦めさせる手はないか。
断念させるために、何か難題を提示してみようか。果たして太子が考えついたのは、驚くべき条件だった。
「よろしい。あの土地のこと、考えようじゃないか。欲しいだけの土地に金貨を敷き詰めよ。それと引き換えになら譲ってもいい。どうかな?」
我ながらバカげたアイデアだ。あれほどの広大な土地。全て入手するにはどれほど金貨が要るものか。目もくらむ巨額に諦めるに違いない。
だが意外にも、給孤独は跳び上がらんばかりに喜び、転がるように出ていった。一体どうしたことだ。
跡を追わせた使用人が、やがて慌てふためいて駆け込んでくる。
その報告に、太子は耳を疑った。
屋敷に着くなり給孤独は、蔵という蔵から金貨を集め、家人を総動員して車に積ませ、件の土地へと向かっているという。
「……まさか、本気か?」
慌てた太子は、取るものも取りあえず、その樹林へ出向く。途中、延々と続く金満載の車列に肝を潰した。その列を追いつつ、馬で到着した太子の目に、これまでに見たこともない光景が飛び込んできた。
〝なぜここまで……〟
給孤独の本気を思い知らされ、太子は半ばあきれてつぶやいた。
まばゆい光を放つ黄金が大地に輝いて、はるか向こうまで広がっている。
そうこうするうちにも、長者の使用人たちが車を引いては、次々と金貨を無造作に地面へ敷いていく。
急かすように指示を与える、給孤独の声が響く。
「さあ、どんどん運べ。敷き詰めよ。蔵が空になってもいい。全て運ぶんだ」
その声に我に返った太子は、息せき切って長者に駆け寄った。
「待ってくれ。そなたはなぜ、なぜそんなにまでしてこの土地を仏陀に寄進したいと思うのか」
屈託のない笑みで、給孤独は答えた。
「先ほども申しましたとおり、仏陀・釈迦牟尼は万人が救われるまことの教えを説かれています。
この私の苦しみ迷いの人生が、現在ただ今から、光明輝く幸せに生かされ、未来永劫の楽果を得られる法です。
そんな尊い教えが、今現に説かれている。いかなる所へも参じて、恭敬して教導を頂くべきでしょう。
ところが仏陀は、自ら赴くと仰せです。何という慈悲の極み。せめてわが為すべきは、世尊をお迎えする最高の土地と建物をご用意することです。
太子さま、私は、この国に、仏法を伝えたいのです。
金や財はこの世だけの宝。私もやがて滅んでいく。しかし、永久に滅びぬ宝、仏の法を聞くために生かせるなら、こんなうれしいことはないのです。全財産なげうって、何の悔いがありましょうや」
長者の熱誠は太子の心に通じ、素直な感動がほとばしり出た。
「ああ、あなたがそれほど尊敬される仏陀・釈迦牟尼とは、何と偉大な方でしょう。
その法は、いかに尊いみ教えなのでしょう。
もう金貨は結構。残りの土地はお譲りします。どうか私にも、尊い布施のご縁を求めさせてください。
樹林の立ち木は精舎建立のために寄進いたします」
後日、経緯を聞かれた仏陀は、この精舎を「祇樹給孤独園」と名づけられた。
「祇樹」とは、祇陀太子が献上した樹木を意味し、「給孤独園」は、給孤独長者の買い取った園地を指す。略して「祇園精舎」という。
この祇園精舎で人々の心を救う教えが説かれた。
平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の祇園精舎は、このようにして建立されたのだった。
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