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言語道断とは語源は仏教|仏教を伝える苦労を表した言葉が言語道断でした

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2019/12/02
 

言語道断

「立場を弁えずこんな発言をするとは言語道断」
「こんな犯罪を犯すなんて言語道断、許しがたい暴挙」
とニュースや新聞などを見ていると時々使われている「言語道断」。
「げんごどうだん」ではなく「ごんごどうだん」と読みます。
 
何か悪いことをしたときに使う言葉のようですが、元は仏教で使われていた言葉で今の使われ方とは別の意味で使われていました。
「言語道断」とはどのような意味なのでしょうか。
 
動画で学びたい方はこちら

(質問):言語道断とは、どういう意味でしょうか。語源は仏教にあるのでしょうか。

(解答)
言語道断(ごんごどうだん)とは、言葉が出ないほどとんでもないこと、もってのほかだ、という意味で使われています。
 
この言語道断は、仏教に語源があります。仏教では、仏教で教えられる真如(真理)が、言葉では表せない説明し尽くせないことを、言語道断と教えられていました。
 
仏教では真如に「離言真如(りごんしんにょ)」と「依言真如(えごんしんにょ)」があります。
 
真如とは、本来、言葉で説明し尽くすことのできない、葉をれたものです。これを「離言真如」といいます。
真如は言葉で表現できないのですが、葉にらねば、伝えることができないので、言葉で真如を表すしかありません
これを「依言真如(えごんしんにょ)」と言います。
 
お釈迦さまには、このようなお話が伝えられています。

「維摩の一黙、雷の如し」

あるときお釈迦さまが、お弟子たちに、真如とは、いかなるものか、尋ねられました。
 
お釈迦さまのお弟子の中で、特に優れたお弟子が十人おられました。
これを釈迦の十大弟子といわれます。その中で、智恵第一といわれる舎利弗(しゃりほつ)が、答えました。
 
流暢に説明をし、

「真如とは 若い女の乱れ髪 言うに言われず(結うに結われず) 説くに説かれず(解くに解かれず)」

との解説に、聞く者は「さすがは智恵第一の舎利弗さまだ」と感心しました。
 
その後、お釈迦さまは、側にいた維摩居士(ゆいまこじ)に、同じ質問をされました。維摩は黙っています。周囲の人たちは、先に舎利弗さまが、あんな説明をされたから、さすがの維摩さまも、何も言えなくなったのではないか」と思いました。
 
その時、お釈迦さまは「維摩、それでよい」と仰いました。それを聞いた周囲の人たちは、えぇ!と驚いた話から「維摩の一黙、雷の如し」と言われます。

親鸞聖人教行信証には『不可称・不可説・不可思議』というお言葉もあります。

不可称(ふかしょう)  言葉で表すことができない
不可説(ふかせつ)   説明することができない
不可思議(ふかしぎ)  想像することができない

このように、仏教には、大変深遠なこと、「言語道断」なことが教えられています。
それを人に伝えるには、言葉で表すしかないので、言葉を尽くして、何としても伝えようとされているのが、仏教の先生の本当の苦労なのです。

 

そこまでして説かれた仏教のお経には何が書かれているのでしょうか。

お釈迦さまの説かれた「お経」「経典」「仏典」とは

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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