お釈迦様物語 すべての人は平等なり 仏弟子・阿難の物語
お釈迦様物語 すべての人は平等なり 仏弟子・阿難の物語
きつい日差しが照り返して、足元からは熱気が立ち昇る。
汗ばむ額を手で拭いながらも、阿難(あなん)の心は浮足立っている。
ついさっき、托鉢(たくはつ)で出会った人が、仏陀のご説法を聞きたいと言ったのだ。仏弟子にとって、これほどうれしいことはない。
詳しく案内し、再会を約束して別れを告げた。
弾む思いで差しかかった村外れ。池のほとりを歩いていると、にわかにのどの渇きを感じた。
池の傍らで、一人の娘が水くみしているのを認めた阿難は、躊躇なく彼女に話しかける。
「すみませんが、とてものどが渇いています。水を一杯、施してもらえませんか」
突然声をかけられて驚いたのか、娘は目を見開き、戸惑った様子で小さくつぶやいた。
「私は卑しい身分の者。あなたのような高貴な修行者には差し上げとうてもできませぬ。どうかお許しください」
阿難は胸に痛みを覚えた。この国には婆羅門(ばらもん)、刹帝利(せっていり)、吠舎(べいしゃ)、首陀羅(しゅだら)という四階級がある。
婆羅門(僧侶)と刹帝利(王族)はほぼ同等の貴い身分とされているが、吠舎はそれらに対して婚姻はもちろん、交際や職業も禁じられている。首陀羅に至っては、直接、言葉も交わされず虫ケラ同然に見なされていた。娘は、その首陀羅だったのだ。
阿難自身は一国の太子である釈尊の親戚。僧となった今も身分は高貴なままだ。
振り返れば、以前は王族の驕りが身ににじみ出たこともあったし、出自の威光を振りかざして、人を傷つけたこともあったろう。
彼女が萎縮するのは、かつての自分たちの不遜な態度に原因があるようにも思える。
だが今は──仏陀の尊い教えを知り、この世の窮屈な身分や素性から解き放たれている。さとりこそまだ開いていないが、仏の法に生かされているのを喜ぶ身の上だ。
だからこそ、この娘の誤解を解かずにいられない気持ちがあった。光を求め、善を行うのに、人が決めた階級など関係ない、と。阿難は彼女に告げた。
「人間は生まれながらに貴賎が定まっているのではありません。私が教えを受ける仏陀・釈迦牟尼世尊はこう仰せられます。一切の人々は生まれながらに平等であり、自由だと。なぜなら私たちは等しく、人として生まれてきた尊い使命、目的を持っているのです。どうか素性など気になさらず、私に水を布施してください」
阿難の言葉に勇気づけられたのだろう。娘はやわらかく微笑むと、すぐに水をくんで捧げ持ち、彼に差し出す。
阿難は喜んでありがたく飲み干した。
お釈迦様が五十五歳になられたころ、常に世尊に付き従い、身辺のお世話をする侍者を求められた。
ご縁の深いお弟子方が協議し、阿難が適任だと推挙した。特に彼が、聞法に熱心であることを知り、お釈迦様は承認される。
それから八十歳でお亡くなりになるまでの二十五年間、阿難は変わらぬ姿勢で常に釈尊のおそばでお仕えした。
その阿難に、ある時こんなことがあった。
──困った。
数日前から背中にできた腫れ物がヘソを曲げた。
初めは小さくて大した痛みもなかったから、見くびって放っておいたのがいけなかった。
昨晩あたりから膿んで、大きく膨らんでいる。背に手を伸ばして触ると、ギャッと跳び上がるような痛みが走った。
何より世尊のお世話に支障があっては申し訳ないが、動くたびに傷に響いて何もできない。かといって横になっているわけにもいかず、弱り果てた阿難は、釈尊にありのままを相談した。
静かに聞いていられたお釈迦様は、実際に患部をごらんになって心配される。まずは医師に見せ、しばらく休むように、と言われた。彼は早速、名医の誉れ高い耆婆(ぎば)の元へ向かう。さすが見立ては早く、切り取るのが最も早い治療とのこと。
だが、軽く触れてさえこの痛みだ。刃物を当てるとなれば、どれだけひどい苦痛かは自明である。
どうしたものかと皆で思案していると、何かひらめいたか耆婆が言った。
「阿難様は仏陀のご説法中、とても集中して、どんな物音も気にならない様子で聞いておられる。もしや聞法中に手術すれば、それほどの痛みも感じずに腫れ物を取り除くことができるかもしれません」
皆はまさかといぶかったが、ほかに手立てもなく、世尊にお許しを頂くと、果たして手術の時はやってきた。
やがて釈尊のご説法が始まると、阿難は微動だにせず、一言一句も漏らすまいと集中した。
法話が終わると、すっかり背中の腫れ物は除かれていたが、いつ耆婆が執刀し、切り終えたのか。阿難は全く気づかなかったという。
このように釈尊のご説法を真剣に、数多く聞き、しかもその内容を実によく覚えていたので、阿難は弟子の中で「多聞第一(たもんだいいち)」といわれるようになったのである。
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