親鸞聖人を絶句させた謎の美女の一言
両親の無常に驚き、9歳で出家された親鸞聖人は、26歳になっても、後生暗い心の解決はつきませんでした。
「私は、道を間違えているのでは」と、師匠の慈鎮和尚(じちんかしょう)に苦悩を明かすと「仏道を求めることは、大宇宙を持ち上げるより重いのだ」と大喝されます。
聖人は「どれだけかかろうとも、解決つくまで求め抜きます」と、さらなる修行を決意されました。
女性に呼び止められた親鸞聖人
京都の慈鎮和尚を訪ねた帰り道、親鸞聖人が比叡山の麓の赤山明神の前を通りかかられると、どこからともなく美しい声に呼び止められました。
振り返ると、そこには妙齢な女性の姿。
そして、
「親鸞さま。私には深い悩みがございます。どうか山にお連れください」
と言います。驚いた親鸞聖人は、
「それは無理です。このお山は伝教大師が開かれてより、女人禁制の山。お連れすることはできません」
だが、女性は鋭く迫りました。
「親鸞さま。伝教大師ほどの方が、涅槃経を読まれたことがなかったのでしょうか。涅槃経には、『山川草木 悉有仏性(さんせんそうもく しつうぶっしょう)』と説かれていると聞いております。
すべてのものに仏性が有ると、お釈迦様は仰っているではありませんか。なのに、なぜこのお山の仏教は女性を差別するのでしょうか」
七千余巻もあるお経の中で『涅槃経』の言葉を知っているとは、この女性は一体何者か、どれほど経典を読んでいるのか、と聖人は驚かれたことでしょう。
*伝教……天台宗を開いた最澄のこと
*涅槃経……お釈迦様の説かれたお経
なぜ女を見捨てるのでしょうか
二の句が継げぬ親鸞聖人に、女性はさらに畳みかけます。
「親鸞さま。女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど余計哀れみたもうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は女を見捨てられるのでしょうか」
人間でも、苦しむ者を放ってはおけない、助けてやりたいとの慈悲を起こします。
できのよい子より、不器用な子ほど親の心はかかるもの。ましてや仏の慈悲は。
仏さまならなおさら、罪重く、苦しみの深い者ほど、何とかして助けてやりたい、
衆生苦悩 我苦悩 (しゅじょうくのう がくのう)
衆生安楽 我安楽 (しゅじょうあんらく があんらく)
(人々の苦しみは私の苦しみである。人々の平安・楽しみは私の安楽だ)
と慈悲を重くかけられるのです。
女の罪が重いのなら、そんな女ほどより哀れみ救わんとなされるのが仏さまのまことの慈悲ではないかと、女性は言うのです。
立て続けに発せられる理の通った言葉に、親鸞聖人は立ち尽くすばかり。
とどめを刺すように女性は、言い放ちます。
「親鸞さま。このお山には鳥や獣のメスは、いないのでしょうか。汚れたメスが入ると山が汚れると言われるならば、すでに鳥や獣のメスでこの山は汚れています。鳥や獣のメスがいる山へ、なぜ人間のメスだけが入ってはならないのでしょうか」
仏教では、人も動物も、鳥や虫ケラに至るまで、全ての命は平等であり、仏の慈悲はすべての衆生(しゅじょう:生きとし生けるもの)に注がれていると教えられます。
それなのに、なぜ女性だけは山へ入って仏道を求められないのか。
女は山を汚すというのが理由なら、すでに鳥や獣のメスに汚されているはず。
なぜ人間の女だけ入山を禁ずるのですか。
「女を見捨てる比叡山の教えは、仏の慈悲の教えといえましょうか」
鋭い指摘に、叡山の麒麟児(きりんじ)と称された親鸞聖人は絶句させられたのです。
真実の仏教を懇願する女性
女性はこう告げて去りました。
「お願いでございます、親鸞さま。どうか、いつの日か、すべての人の救われる真実の仏教を明らかにしてくださいませ。お願いでございます」
万人を救済できぬ教えは、本当の仏教ではない。きっぱりと言う謎の女性の言葉に親鸞聖人は、衝撃を受けられました。
出家してより17年、厳しい修行を重ねるも後生暗い心の解決がつかず、道を間違えているのではと苦悩された聖人の心を、激しく揺さぶる出会いでありました。
(続き)
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