親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁2
弁円は関東一円に名を知らしめる星でした。
ところが親鸞聖人が登場されると、昇る太陽に星が光を失うごとく、威光に陰りが出始めたのです。
弁円の動揺
初め弁円の弟子たちは、
〝親鸞は比叡山の修行がつらくて、逃げ出した男〟
〝越後に流された罪人〟
〝肉食妻帯の堕落坊主〟
とバカにしていました。
弁円も、
「いいですか皆さん。皆さんはそのような軽薄な教えに、決して迷ってはなりませんぞ」
と信者に注意するくらいで、歯牙にもかけなかったのです。
ところが、弁円の寺を埋め尽くしていた信者が一人、また一人、親鸞聖人のまします稲田の草庵へと流れていくと、弁円の弟子たちも焦り始めます。
「肉食妻帯(にくじきさいたい)の破戒坊主(はかいぼうず)、み仏に代わって、成敗してくれるわ!」
と拳を握り鼻息を荒げ、いきりたつ弟子を、
「まあ待たれよ。よいか。人集めに都合のよいことばかり言っておるのじゃ。やがては、我々の修験道こそ、正しい仏教だと分かる時が、必ずある」
と制止しながらも弁円は、自身の心がざわめくのでした。
弁円
「所詮は肉食妻帯の破戒僧ではないか。そんな者の所へ、なぜ?捨てておいてよいものか……。何とかしなければ」
高弟・弁長に親鸞聖人の稲田へ偵察に行かせます。しばらくして、稲田から帰った弁長の口から衝撃の事実が。
ついこの間まで「大尊者様」と弁円にかしずいていた、柿岡村の兵衛門が親鸞聖人の説法を聞き、
「わしは阿弥陀如来の本願に決めた。もう迷信なんかには関わらん」
と言ったというのです。
〝この世の幸せを得ても、ほんのしばらくの安心。阿弥陀如来の本願によらねば、本当の幸せにはなれぬ〟
そう知らされた兵衛門が、村中に親鸞聖人の教えを伝えたため、柿岡村から弁円の元へ来る人は途絶えました。兵衛門の豹変に弁円一派は驚き、親鸞がだましたのだと憎みました。
悪魔の破戒僧、捨てておけぬ、祈祷で呪い殺すべしと弁円らは、恐ろしい形相で護摩壇に向かいます。その様子は、稲田の親鸞聖人の元にも聞こえてきました。
柿岡村へのご布教
そんなとき、柿岡村の兵衛門が、親鸞聖人を村へご招待したのです。お弟子たちは心配しました。柿岡村へは、弁円のいる板敷山を越えねばならなかったからです。
お弟子の蓮位房
「お師匠さま。やはり、柿岡村へ……。柿岡村のご布教だけは、おやめになっては」
弟子の蓮位房の心配を重々、承知されながらも、親鸞聖人は、
「何を言うか蓮位房。一人でも求める人あらば、命懸けて伝えねばならぬが仏法!我々仏法者の務めではないか」
命の危険を恐れて、法を説かぬのは仏法者ではない、と厳しいお叱りです。
親鸞聖人のみ教えを、そのまま伝えられた蓮如上人も仰せです。
まことに一人なりとも信をとるべきならば身を捨てよ。
(意訳)
一人でも聞きたいと求める人に、もし仏法を説かなければ、次のチャンスは二度とないかもしれぬ。命懸けて伝えねばならぬ。
親鸞聖人は、柿岡村の兵衛門の招待を受けて、仏法を伝えに行かれるのでした。
(続き)
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