お釈迦様物語|長者の万灯よりも貧者の一灯|布施は心がけが大事
お釈迦様物語 お釈迦様と女乞食 布施は心がけが大事
とっぷり陽が沈み、冷たい闇が辺りを覆い始めた。たくさんの灯明に照らされた精舎(しょうじゃ)がぼうっと浮かび上がる。
〝もう少しで着くわ〟
疲れ切った体を励まし、乞食の難陀(なんだ)は歩みを速めた。
普段は物乞いで棒にする足だが、今日、彼女は初めて、お釈迦様の説法を聞きに来た。
昼、食事を施してくれた人が、お釈迦様の説法を聞くように勧めてくれたのだった。
その人の笑顔がステキだったので、ぜひお釈迦様のお話を聞きたいと、こんな郊外に足を運んだのである。
ようやくたどり着いた精舎には、富豪が布施(ふせ)したたくさんの灯火がゆらめいていた。
別世界に来たような幻想的な光景の中、お釈迦様はゆっくりと姿を現された。
初めて拝見する。が、えも言われぬ何かを感じ、難陀は頭を深く垂れる。
お釈迦様の声は彼女の心に深く響き入り、みるみる潤していった。
難陀はわが身の来し方を振り返らずにいられなかった。
生まれついての貧乏暮らし。生きる意味どころか、生きる術も分からず、ただ人様の情けにすがって、口を糊する毎日だった。
生活の不安でいつも心は重く、何も恵まれぬ日は、明日も明後日も金輪際、食事にありつけぬのではと、行く末の不安とひもじさ、惨めさで眠れなくなるのだった。
食べるために生き、生きるために食べる。
心はいつも闇で、一日として安らかではなかった。
〝こんなにまでして、どうして生きなくてはならないの?〟
心のどこかで叫んでいた。そんな彼女の心に、
「老若男女、貴賤を問わず、全ての人が平等に幸福になれるのだよ」
お釈迦様の説法が深くしみとおった。
「人はただ生まれ、生きているのではない。先が見えず、胸ふさがれるような日々にも、この法を聞き、救われるという意味がある」
声に出し、改めて彼女は心が熱く震えるのを感じた。
〝どうかしてこの法を求めたい。お釈迦様の教えに従いたい〟
突き上げるような願いが生じた。
「この法を求むる者、常に布施を心がけよ」のお釈迦様の教導が胸に迫る。
〝……布施?施し?何も持たない私はどうすればいいの?そうだ、この精舎(しょうじゃ)に灯の一つでも施せれば……〟
帰りの道すがら、視線をじっと落としつつ、どうすればお釈迦様に灯明を布施できるか、帰り着いて床に入るまで、難陀はそのことを考えていた。これほど何かに専心し、思慮を巡らしたことはなかったほどである。
翌朝、目覚めるとすぐに外へ飛び出した難陀は、何かに打たれたように、施しを乞うて回った。
食物を恵んでもらうためではない。空腹も忘れて彼女は、お釈迦様のましますこと、その法の尊さを話し始めたのである。
だが一人として、彼女の言葉に耳を傾ける者はなかった。
向こう見ずなその熱意に気押されることはあるが、変な物乞いが来たという顔で、断られるばかり。
だが難陀に、ひるむ心は起きなかった。
もう昼も相当に過ぎた頃、ある一軒の戸をたたくと、どこか懐かしい香りのする、ふくよかな老婦人と出会った。
老婆はにこやかに難陀を見つめ、熱心に一言一言に聞き入った。
ひととおり話を聞き終えると、おもむろに部屋へ戻り、わずかだが、施しを難陀の手に託したのである。
難陀は天にも昇る気持ちで、恭しく礼を告げ、足早に油屋へ走った。今晩の法座に間に合うかも……。すでに陽は西に傾きつつあった。
お釈迦様のご説法を聞き、生きる意味を知らされた女乞食・難陀は、何とかお釈迦様に灯明を布施したいと足を棒にして歩き回り、ようやくある老婆から施しを受けることができた。
老婦人からの財施を手に、難陀は息を切らして油屋を探している。
不案内な道を焦りながら、難陀は行き交う人に尋ねつつ歩き続ける。
乞食して回るうちに、知らない町まで来ていたのだ。
陽はかなり傾き、お釈迦様のご説法の時間は近づいている。
ようやく一軒の小さな油屋に行き着くと、いかつい風貌の店主が一人。
難陀に気づき、愛想よく近づいてくる主人に難陀は、伏し目がちに握り締めた拳を広げて告げた。
「あの……一灯分の油が欲しいんです」
店主の顔はたちまち曇った。
「残念だが、それでは一灯分の油には足りないな……」
お金を出しさえすれば油をもらえると思っていた難陀は困惑した。
だが引き下がれぬ思いで、主人の顔を凝視して懇願した。
「どうにかなりませんか。一日歩いて得たお金なんです。どうか……」
土間に膝をつき、頭を下げる。主人の困惑した声が言った。
「見てのとおり、うちも貧しい商いなんだ。分けてやりたいのはやまやまだが、お金がないのでは……しかたがないよ」
「無茶は承知です。お金が足りないなら、できることをしますから……」
そこまで言って、ふと難陀は束ねた黒髪に手をやった。薄汚れてはいるが、〝あんたの髪は黒くてしなやかだね。売ればいい値がつくよ〟と以前誰かに言われたのを思い出した。
「もし、この髪が足しになるのなら、今すぐ切って差し上げます。どうか、油を分けていただけないでしょうか」
なお懸命に頭を下げた。店主は依然、承知しない表情だが、難陀の熱意に何かを感じ取ったのだろう。沈黙の後、やわらかい口調でこう尋ねてきた。
「なぜ、そこまで熱心に油を求めるんだい?一体、何に使いたいの?」
「お釈迦様に布施したいのです」
即答して難陀は、昨日初めてご説法をお聞きし、お釈迦様が全ての人の最も大事な生きる意味を教えられていると知った、と話した。
「お釈迦様にどうしても一灯を布施したいのです。どうか……」
重ねて訴えると、油屋は静かに言った。
「お釈迦様というお名前は、私も聞いたことがある。そうか……そんな大切なことを教えていられる方なのか……分かった。足りない分は私が布施させてもらおう」
言うなり彼は、手早く油を容器に分け、捧げ持って彼女に手渡した。
予想もしない店主の行動に、難陀は一瞬戸惑ったが、恭しくその油を押し頂いて心から礼を述べ、素早く通りに飛び出した。
西の空には太陽が、すでに半身を沈めている。精舎を目指し、難陀は無心で駆けた。
翌朝、精舎では、仏弟子・目連(もくれん)が、灯火の後始末をしていた。
大方の火はすでに消えている。だが中に一つだけ、夜が明けてなお明るく輝く灯明があった。
目連は道具で覆って消そうとするが一向に消えない。
〝これはどうしたことか〟
不審に思って目連は、お釈迦様にお尋ねした。
「昨夜の灯火に一つだけ、依然として煌々と燃え続けるものがございます。いくら消そうとしても消えません。これは一体、どうしたことでしょうか」
「それは難陀という女乞食が布施した灯火である。その灯はとてもそなたの力で消すことはできない。たとえ大海の水を注いでも、燃え続けるであろう。それこそ、一切の人々の心の闇を照らそうとする、海よりも大きな広済(こうさい)の心から布施された灯なのだ」
世尊は答えられたという。
布施は心掛けが大切である。お金の施しでしたら、額の大小よりも、どんな心で布施をするのか、心掛けが大事です。
「長者の万灯より貧者の一灯
(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)」
とお釈迦様は教えられている。
金持ちがたくさんの灯を施すのも尊いが、
そうでない者が一つの灯を精一杯、施すのはなお尊いことである。
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