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仏説阿弥陀経とは 阿弥陀経を解説します

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カテゴリー:仏事 タグ:
 

阿弥陀経

葬式や法事でよく読まれる阿弥陀経ですが、漢字ばかりで書かれているため内容を知る人はあまり多くありません。

ですがよく読まれるのはそれだけ大事なことが教えられているからです。

そこで今回の記事では、阿弥陀経の一部を抜き出して詳しく解説します。

目次

  • 葬儀や法事の読経で耳にする阿弥陀経には、どんなことが教えられているのでしょうか
  • 極楽には、なぜ蓮の華が咲いていると説かれているのでしょうか
  • 極楽には、なぜたくさんの鳥がいるのでしょうか
  • 極楽はおとぎ話ではないのですか
  • 「阿弥陀経」の二大特徴
  • まとめ

(質問):葬儀や法事の読経で耳にする阿弥陀経には、どんなことが教えられているのでしょうか

(答え)
葬儀や法事で、なじみ深い阿弥陀経、正式には『仏説阿弥陀経』といいます。

お経の名前は知らずとも、「シャーリーホ(舎利弗)」と繰り返されるのに、聞き覚えのある方も多いでしょう。舎利弗(しゃりほつ)とは、お釈迦様のお弟子です。

舎利弗について、お知りになりたい方はこちらへ

→ お釈迦様物語 仏弟子・舎利弗と目連

釈迦一代の、結びの経といわれる『阿弥陀経』には、何が説かれているのでしょうか。

(長文になりますが、ご了承願います)

「如是我聞」(是の如く我聞く)

お経の成立

約2600年前、インドに現れたお釈迦様が、35歳で仏という無上のさとりを開かれてから、80歳で亡くなるまでの45年間、説かれた教えを今日、仏教といわれます。

その教法は、七千余巻という膨大な数のお経に書き残され、総称して一切経(いっさいきょう)といわれています。

お経は、お釈迦様ご入滅後に高いさとりを開いた500人のお弟子たちが集まり、ご説法を記録したものです。

お弟子の一人が、まず「このように私は聞きました」とご説法の記憶を語ったので、阿弥陀経だけでなくいずれのお経も、「是の如く我聞く」と始まります。

その後、その内容に問違いがないか徹底討議され、500人が全員一致した時だけ書記が記録していったのです。これを「仏典結集(ぶってんけつじゅう)」と言います。

だからお経は、間違いなくお釈迦様の説法とされ、「仏説」とつけられているのです。

 

「一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に在して、大比丘衆千二百五十人と倶なりき」

(意訳)
ある時、お釈迦様は、1250人の優れたお弟子とともに、舎衛国の祇樹給孤独園におられました。

 

ここで出てくる「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」とは、中インドのコーサラ国の首都・舎衛城(しゃえいじょう)にあった大寺院のことで、一般に「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」と呼ばれています。

『阿弥陀経』をはじめ、多くの経典が説かれた祇園精舎の建立には、「黄金布地の盛挙」とたたえられた有名なエピソードがあります。

詳しくお知りになりたい方はこちらへ

→ お釈迦様物語 給孤独長者と祗園精舎の建立

「爾時、仏、長老舎利弗に告げたまわく、是より西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽と曰う。其の土に仏有す、阿弥陀と号す、いま現に在して説法したまう」

阿弥陀仏と極楽浄土

「十万億の仏土を過ぎて世界有り」とは、どんなことでしょうか。

仏教では、大宇宙について、次のように教えられています。

地球のような世界が千個集まって小千世界(しょうせんせかい)、小千世界が千個集まって中千世界(ちゅうせんせかい)、中千世界が千個で三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を形成しており、それらがまた無数に集まったのを、十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)というと教えられています。

十方微塵世界は今日でいう大宇宙を表しています。

天文学で知られるようになったことが、仏教では2600年も前に教えられていたことに驚くかもしれません。

この三千大千世界を一仏土といい、「十万億の仏土を過ぎて、極楽という世界がある。そこにまします仏を、阿弥陀仏といわれる」と説かれているのです。

本師本仏の阿弥陀仏

阿弥陀仏とは、どんな仏さまなのでしょうか。

世の中では、「釈迦も、阿弥陀仏も同じ仏だろう」と思っている人が少なくありませんが、それは大変な間違いです。

釈迦と阿弥陀仏は違う仏さまなのです。

お釈迦様は地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。

そのお釈迦様が私たちに紹介してくだされたのが、阿弥陀仏といわれる仏さまです。

阿弥陀仏と釈迦との関係について、蓮如上人は次のように『御文章』におっしゃっています。

ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば

お釈迦様は、地球上ではただ一人、仏のさとりを開かれた方ですが、大宇宙には地球のようなものが無数にあり、また無量の仏がましますと教えられています。

それらの仏を、「三世十方の諸仏」といわれます。

三世とは過去世、現在世、未来世のこと。十方とは十方微塵世界のことで、大宇宙のことです。

『阿弥陀経』では、大宇宙を東西南北上下の六方で表し、それぞれの方角に、須弥相仏(しゅみそうぶつ)、大須弥仏(だいしゅみぶつ)、須弥光仏(しゅみこうぶつ)、妙音仏(みょうおんぶつ)など、たくさんの仏方がおられると、お名前が挙げられています。それらの仏が「三世十方の諸仏」です。

次に「本師本仏」とは、先生ということですから、阿弥陀仏は、この大宇宙の仏方の先生である、ということです。

このお釈迦様の教えを、親鸞聖人も明らかにされ、蓮如上人も教えられているのです。

阿弥陀仏十方諸仏の先生であり、大宇宙の仏方は皆、阿弥陀仏のお弟子ということです。

地球のお釈迦様も、十方諸仏の一人ですから、阿弥陀仏のお弟子です。

弟子は先生の御心を正確に、一人でも多くの人にお伝えします。

だから弟子であるお釈迦様が先生である阿弥陀仏の御心一つ、生涯教えていかれたのが仏教である、と親鸞聖人は『正信偈』に教えられています。

如来所以興出世 唯説弥陀本願海

(書き下し文)
如来、世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんがためなり

ここで「如来」とはお釈迦様のこと。

「如来、世に興出したまう所以は」とは、「お釈迦様がこの地球上に現れて、仏教を説かれた目的は」ということです。

唯説」とは、ただ一つのことを説かれるためであった、ということです。

七千余巻のお経、四十五年間の教法と聞きますと、「お釈迦様はいろいろなことを、教えていかれたのだろう」と思われますがそうではなかったのだよ。

お釈迦さまが教えられたのはたった一つのことなのだよと、親鸞聖人は断言されています。

一切経を99%読んでも、こんな断言はできません。残りの1%に何が書かれているか分からないからです。

一切経を何度も読破されての、親鸞聖人の断言なのです。

私たちはお釈迦様が教えられた、そのたった一つのことを聞けば、仏教すべてを聞いたことになり、仏教のすべてを知ったことになります。このお釈迦様のただ一つ説かれたことほど大事なことはないのです。

親鸞聖人は、それは「弥陀の本願」であるとおっしゃっています。

弥陀の本願とは、阿弥陀仏の本当に願っていられる御心のことです。

それは広大で深いので、海に例えられて「本願海」といわれています。お釈迦様45年間の教えは、弥陀の本願以外なかったのです。

 

「舎利弗、我今阿弥陀仏の不可思議功徳を讃歎するが如く、東方にも亦、(中略)、是の如き等の恒河沙数の諸仏有して、各其の国に於て、広長の舌相を出して偏く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう、汝等衆生、当に是の称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべしと」

(意訳)
“舎利弗よ、この釈迦が今、阿弥陀仏の本願の不可思議な素晴らしさを説いているように、東の方にも、このようなガンジス河の砂の数ほどの無数の仏方が、各々その国において、大雄弁をもって、三千大千世界の至るところで、「すべての人々よ、まさにこの不可思議な阿弥陀仏の本願を聞く以外に本当の幸せになれる道はないのだ」と、真実の説法をしておられるのだ”

大宇宙の仏方が保証人

弥陀の本願一つ説かれたのは、地球のお釈迦様だけではありません。

大宇宙のあらゆる仏方が、「われらが本師本仏・阿弥陀仏の本願は真実だ。間違いない。我々が保証するから早く聞きなさいよ」と、阿弥陀仏の本願まことを、叫んでおられることが『阿弥陀経』に説かれています。

上述の東の方のみならず、南の方、西の方、北の方、下の方、上の方の、六方の仏方が同様に、弥陀の本願まことを保証しておられることが、続いて説かれており、これを「六方諸仏(ろっぽうしょぶつ)の証誠(しょうじょう)」といわれます。

これは「仏々相念(ぶつぶつそうねん)」とか「唯仏与仏の知見(ゆいぶつよぶつのちけん)」といわれ、さとりの働きにより、仏さま同士、互いに通じておられるため、お釈迦様はこのようなことが分かられたのです。

お釈迦様だけでなく大宇宙のすべての仏方が、「偉大な仏さまだ、尊い仏さまだ、われらの先生だ」と褒めたたえ、手を合わせ拝まれる仏が阿弥陀仏です。

「釈迦に提婆(だいば)」といわれるように、最高の偉人といわれるお釈迦様にさえ、命を付け狙った提婆達多(だいばだった)がいました。

また当時のインドでは、人民の3分の1はお釈迦様に帰依しましたが、3分の1は反抗し、3分の1はお釈迦様のお名前さえ知らなかった、と伝えられています。

どんな立派な方でも、すべての人から褒められることはないことが分かります。

皆にて謗る人もなく皆にて褒むる人もなし(法句経)

お釈迦様の仰せのとおりです。
ところがそれが、仏の世界にはある。

阿弥陀仏は、大宇宙のすべての仏方に褒めたたえられる仏なのです。

それは、ほかの仏にない優れたお力を持っておられるからです。

「彼の仏を何が故ぞ阿弥陀と号する。舎利弗、彼の仏の光明は無量にして十方の国を照らすに障礙する所無し、是の故に号して阿弥陀と為す。又舎利弗、彼の仏の寿命及び其の人民も無量無辺阿僧祇劫なり、故に阿弥陀と名く」

“阿弥陀”と名づけられる理由

光明」とは、仏のはたらきのことで、智慧ともいわれます。

阿弥陀仏は光明無量かつ寿命無量の仏だから”阿弥陀”仏というのだと言われています。

十方を遍く光明無量の智慧は“どこでも救う”空間的無辺を表し、三世を貫く寿命無量の慈悲は“いつでも救う”時間的無限の真理です。

三世十方を貫く真理が阿弥陀の三字。“いつでも、どこでも救う”仏が、阿弥陀仏なのです。

無限のお徳がある中で、阿弥陀仏の最も優れたお働きは「光明無量」であると、親鸞聖人は讃嘆なされています。

無明の闇を破するゆえ智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆ともに嘆誉したまえり(浄土和讃)

一切諸仏とは大宇宙の仏方のこと。

三乗衆(さんじょうしゅう)とは、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)のことで、いずれも私たちとはケタ違いに優れた方々のことです。

これらの方たちが異口同音に、阿弥陀仏を褒めたたえられていることを、「一切諸仏三乗衆ともに嘆誉(たんにょ)したまえり」と言われたのです。

それはお釈迦様が、『大無量寿経』に次のように喝破なされているからです。

無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。

(意訳)
阿弥陀仏の光明(智慧)は、諸仏に超過してずばぬけている。

そのずばぬけたお力とは「無明の闇」を破る、智慧のはたらきであることを、親鸞聖人は「無明の闇を破するゆえ智慧光仏となづけたり」と言われています。

だからこそお釈迦様は、大宇宙の諸仏方を保証人に立てられてまで、弥陀の本願を早く聞きなさいよと『阿弥陀経』に叫んでおられるのです。

 

「舎利弗、彼の土を何が故ぞ名けて極楽と為す。其の国の衆生は衆の苦有ること無く但諸の楽のみを受く、故に極楽と名く」

諸々の苦あること無く、ただ諸々の楽のみを受ける極楽浄土の荘厳が『阿弥陀経』には、詳しく説かれています。

倶会一処

(質問):極楽には、なぜ蓮の華が咲いていると説かれているのでしょうか

(解答)
「池の中に蓮華あり、大きさ車輪の如し」(阿弥陀経)とあるように、極楽には、蓮の華が咲いていると説かれています。

“また、極楽に生まれる人は、蓮の台に忽然と生まれるので「蓮華化生(れんげけしょう)」といいます。

それは蓮の華が極楽へ生まれる人の、正しい信心の特徴を表しているからです。

詳しいことをお知りになりたい方はこちらへ

→ 仏教で蓮の花がよく出てくるのはどうしてでしょうか。

(質問):極楽には、なぜたくさんの鳥がいるのでしょうか

(解答)
阿弥陀仏の浄土には、カリョウビンガの鳥や、共命の鳥など、たくさんの鳥がいると、『阿弥陀経』に説かれていますが、牛や豚や犬がいるとは説かれていません。

どうして極楽には鳥がたくさんいるのでしょう?

鳥は、そのつど飛びながらでも脱糞する動物ですが、牛や豚や犬はためて一度に放出します。

次のような蓮如上人のお言葉があります。

物を言え物を言え。物をいわぬ者は恐ろしき。信・不信ともにただ物を言え。物を申せば心底も聞え、また人にも直さるるなり。ただ物を申せ。
蓮如上人は、分からないことがあれば、恥ずかしがらずに、質問をして、納得するまで聞くことが肝心であると教えられています。

仏法を聞いていてわからないことがあれば、ためずにその都度質問して納得しなさいと教えられますので、そのような鳥が極楽にはたくさんいるのです。

阿弥陀経

(質問):極楽はおとぎ話ではないのですか

(解答)
極楽浄土には、金色さん然と輝く宮殿楼閣や、金銀の大地に八功徳水(はっくどくすい)の蓮池があると、『阿弥陀経』に説かれています。

現代人にはそんな世界は信じられないと、思う人もあるでしょう。

仏の境界である極楽は人間界と大変異なるので、お釈迦様は時には「説くべからず」とおっしゃり、随分表現に悩まれたようです。

犬や猫にパソコンの技術を説明するより、困難だったことでしょう。

しかし、説いても分からぬからと説かずにいては、人々に知らせることはできません。

そこで、お釈迦様は人間界で見聞しているもので、浄土の楽を例えられたのです。

これを、「余方因順(よほういんじゅん)」といいます。

余方」とは、仏が説かれる相手の世界、「因順」とは、それに順って、との意です。

極楽の様子を人間には、金銀財宝で例えられましたが、猫が相手ならば、「猫の参るお浄土は、宮殿楼閣みなカツオ、猫もあきれてニャムアミダ」となるでしょう。

それを『阿弥陀経』で説かれるままの世界が極楽と思い、「そんな世界、あるはずないよ」と思うのは、お釈迦さまの心に反することになります。

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「阿弥陀経」の二大特徴

『阿弥陀経』には、二つの大きな特徴があります。

1つは「無問自説の経(むもんじせつのきょう)」といわれることです。

普通、お釈迦様のご説法は、だれかの質問に答えられる形で始まります。

しかし『阿弥陀経』だけは例外で、問わず語りにお釈迦様自ら語り始められたのです。

本師本仏の阿弥陀仏の本願を説くことこそが、お釈迦様の出世本懐であったことを知れば、説かずにはおられなかった御心も拝察できましょう。

2つ目の特徴は、仏弟子の中で智慧第一として知られる「舎利弗の沈黙」です。

舎利弗はご説法中、お釈迦様から36回も名前を呼ばれながら、一度も返事をしていません。

仏さまから名前を呼ばれて返事もしないのは、仏弟子として大変礼儀を失した行為です。

しかし『阿弥陀経』に展開される、人智の及ばぬスケールの大きさと、不可称不可説不可思議の弥陀の救いを前に、舎利弗ほどの智慧者も驚嘆のあまり言葉がなかったことがうかがえます。

まとめ

阿弥陀経には阿弥陀仏のお力の尊さ、すばらしさが説かれています。

お釈迦さまは私たちに「阿弥陀仏の本願を聞け、阿弥陀仏の本願を信じよ」と勧められましたが、阿弥陀経にはお釈迦さまだけでなく、大宇宙の諸仏がみな同様に阿弥陀仏を褒め称えられていることが説かれています。

阿弥陀経に説かれていることを、親鸞聖人は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に明らかにされています。↓

親鸞聖人の主著、国宝『教行信証』

 
 
 
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