親鸞聖人還暦過ぎ 関東の人々との別れ
およそ20年間、関東布教に力を尽くされた親鸞聖人が、止むに止まれぬ事情で、突然帰京を決意なされたのは、還暦過ぎのことでした。
交通も通信も未発達の当時、関東から十余カ国を隔てた京へ帰られることは、生涯の別れをも意味することでしょう。
親鸞聖人のご教導によって生死の一大事あるを知り、その解決の道・弥陀の本願を真摯に求めた同朋たちの悲しみ、動揺は、ひととおりではありませんでした。
帰京される親鸞聖人も、関東の人々との別れを大変悲しまれ、こんなお歌を残されたと伝えられています。
病む子をば 残して帰る 旅の空 心はそこに 残りこそすれ
(意訳)
病める子を残し、体は旅の空にあるが、心はそなたたちの元に留まっているのだ
残される人々を「病む子」とは、なぜでしょう。その病を蓮如上人は『御文章』に「無始よりこのかたの無明業障の恐ろしき病」と言われています。全ての人がかかっている病気なのだ、と教えられています。
まずここで「恐ろしい病」といわれるのはなぜでしょう。肉体の病で恐ろしいのは、静かに進行し、気づいた頃にはもう手遅れというガンのような病気。「無明業障」も自覚症状なき病なのです。一体どんなものでしょう。
「無明」とは、108の煩悩のこと。「煩わせ悩ませる」と書き、特に恐ろしいのが貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の三毒です。
貪欲は、無ければ欲しい、有ればなお欲しい、際限のない欲の心です。飲みたい、食べたい、金や財が欲しい、褒められたいとどこまでも駆り立てます。
欲が邪魔されると瞋恚、怒りが起きます。ひとたび腹が立てば、後は野となれ山となれ。一切を焼き尽くす炎のような心です。
愚痴は、宇宙の真理である因果の道理が分からず、他人の幸せを妬み、人の不幸を喜ぶ醜い心。ネタミ、ソネミ、ウラム、憎悪の心です。
これら煩悩で、常に悪業を造り、その報いが障り(苦しみ)となって現れるから「業障」といわれます。
そんな病を抱えた私たちの、一息切れた後生に一大事が待ち受けている、とお釈迦様は教導なさっています。
これを生死の一大事といい、その解決は阿弥陀仏の本願によらねばできない、と説かれているのです。
この弥陀の本願を求める人たちを「病む子」と言われているのです。
弥陀の本願力に動かされて集った人々を、わが子のように案じられる、親心にも似た心情と、彼らを残して帰京せねばならぬ断腸の思いが、この歌に込められています。
「私は、久しく関東にあって、弥陀の本願を伝えてきた。初めは非難していた者も、今は本願を信じ、浄土の教えは大変繁盛している。どうか皆人よ、ともに弥陀の救いにあって本当の幸せの身になってもらいたい。そのこと一つを念じています」
法友とのつらい別れを乗り越え帰京なさる際に、親鸞聖人はもう一首、歌を残されました。
恋しくば 南無阿弥陀仏を 称うべし 我も六字の 中にこそ住め
(意訳)
親鸞を恋しく思うなら、一時も早く弥陀に救われ、本当の幸せになり、お礼の念仏称える身になってもらいたい。私も南無阿弥陀仏に生かされている。だからいつもそばにいると思ってくれよ。
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