お釈迦様が教えられる三通りの人 岩のような人 砂のような人 水のような人
人類最尊の偉人と仰がれるお釈迦様。80年のご生涯には、数々の心に響くエピソードが残されています。時空を超えた真実のお言葉は、今もなお人々の心をとらえて離しません。
一瞬の怒りが人生をフイにすることがあります。
以前、広島県で50代の男性が、傘で突き刺されて死亡。刺したのは働き盛りの30代の会社員でした。自宅から車で出発した直後、対向車の男性と口論になり、持っていた傘で、顔を突き刺したのです。
「擦れ違う際に、罵声を浴び、カッとなった」と、供述しています。
修養も学問も、一瞬にして焼き払うのが怒りの炎。
わき上がる激情は、年を重ね教養を積んでも抑え切れるものではありません。
作家の野坂昭如氏が、パーティー会場で大島渚氏(映画監督)を殴りつけ、ワイドショーをにぎわしたことがあります。
祝辞を割愛されて憤慨した野坂氏に、大島監督も自分のスリッパでたたき返し、反撃しました。
地位も分別もあるはずの大人が大衆の面前でさらした醜態に、世人は驚きあきれました。
怒りは無謀に始まり、後悔に終わる。自分を憎み、ののしる人にも、心静かに忍ぶことができたら、人生はどれだけ過ごしやすくなるでしょう。
お釈迦様は怒りへの対応で人は
- 岩のような人
- 砂のような人
- 水のような人
の3通りに分けられると教えられています。
怒りについて教えられたお釈迦様のお話を紹介します。
お釈迦様と邪教徒の話
お釈迦様にこのような話があります。
ある時、邪教徒の若い男がお釈迦様の所に来て、散々、悪口雑言ののしりました。
黙って聞いておられたお釈迦様は、彼が言い終わると、静かに尋ねられました。
「おまえは、祝日に、肉親や親類の人たちを、招待し、歓待することがあるか」
「そりゃ、あるさ」
「親族がその時、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」
「食わなければ、残るだけさ」
「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受け取らなければ、その罵詈雑言は、だれのものになるのか」
「いや、いくら受け取らなくとも、与えた以上は与えたのだ」
「いや、そういうのは与えたとはいえない」
「それなら、どういうのを受け取ったといい、どういうのを受け取らないというのか」
「ののしられた時、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受け取ったというのだ。しかし、その反対に、何とも思わないものは、与えたといっても受け取ったのではないのだ」
「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」
お釈迦様は、厳かに、偈(げ)で答えられました。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」
「私は、馬鹿者でありました。どうぞ、お許しください」
外道の若者は、落涙平伏し帰順したといいます。
岩のような人 砂のような人 水のような人
また、お釈迦様は怒りの心について、三通りの人があると教えられています。
・岩のような人
・砂のような人
・水のような人
岩のような人
岩に文字を書くといつまでの消えずにずっと残るように、あいつのせいでこんなことになったと怒りに燃え、恨み続け、この恨み必ず晴らしてやると復讐を企み、いつまでも心が安らぐことがない人です。
砂のような人
砂に文字を書くと跡が残りますが岩に比べれば残らず、砂浜に書いた文字は波が押し寄せると跡形もなく消えてしまうように、一時は怒りの心を起こして苦しみますが、しばらくすると穏やかな心になる人です。
水のような人
水に文字を書いても残らないように、どんな人からどんなことを言われようとも、どんな想定外のことが起きようとも、怒りの心を起こすことなく平然とした心持ちでいられる人です。
お釈迦様は「怒りの心はあなたを不幸にする。岩のような人よりも砂のような人に、砂のような人よりも水のような人になりなさい」と教えられています。
まとめ
お釈迦様は、怒りに対する心で人を岩のような人、砂のような人、水のような人の3通りに分けられ、岩のような人には砂のような人になる方法を、砂のような人には水のような人になる方法を教え、本当の幸せになる道を明らかにされています。
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