お釈迦様物語|どちらも厳しい二者選択を迫られた時にどうしたらよいか
お釈迦様物語 無上の道 お釈迦様とワシとハト
翼を広げ、ワシは樹上から上昇気流に乗った。いつもは舞い上がる心地よさに陶然とするが、今はただ、風がすきっ腹にこたえるばかり。狩りが不調でこの数日、水しか口にしていないのだ。羽ばたくにも力が入らず、眼下の眺めを楽しむ余裕もない。ふっと気を抜けば、風に押し流されてしまう。
おぼろな意識で浮遊する彼の目線の端を、不意に白いものが横切った。
上空を飛ぶ自分に気づきもせず、無防備に羽ばたくそれは、森を二つに割いて流れる大河に沿って、のんびり上流へと移動していく。
「しめた!!」
素早く狙いを定め、翼を折り畳んで静かに急降下する。頬をかすめる空気が一気に速度を増した。獲物のハトが目前に迫り、捕らえたかに思えたその刹那、危険を察知した相手はサッと身をかわし、全速力で今来た方向へ羽ばたいた。予想外の展開に、ワシは焦った。
“すぐに仕留めねば”
持久戦になれば、また食事はお預けだ。力を振り絞って彼は、純白のハト目掛け突進した。だが敵も必死。小刻みに切り返し、動きの大きなワシは振り回される。幾度か体当たりしたが、深手は与えられず、ハトはなおも逃げ続けている。
“ダメだ。もう……もたない……”
限界を感じ始めた時、ハトはさらに高度を下げて林へ逃げ込んだ。木立の中へ分け入って追うが、とうとう姿を見失ってしまった。
緊張の糸が切れ、ワシの飛行は惰性になる。ガックリと途方に暮れていると、ある樹下に出家が一人、瞑想しているのを見た。
“あの修行者に尋ねてみよう”
サッと修行者の前に降り立つと、身を正してワシは尋ねた。
「ここへ、ハトが来ませんでしたか?」
「ハトなら私の懐にいる」
意外な返事に元気を取り戻したワシは、思わず口にした。
「ヤレヤレ、これで生き延びられる。どうかハトを渡していただきたい。
餓死寸前の私が見つけたハトなのです。逃しては死ぬほかありません」
修行者の胸にはハトが、小さく震えながらうずくまっている。出家は端然と座り、目をつぶって黙している。ワシは考えた。
“……そういえば、出家は生き物を殺さないというじゃないか。ならば、みすみすハトを差し出すだろうか。だが、出さねばこのオレが死ぬ。オレを生かすには、ハトを渡さねばならんだろう……。今の様子だと、彼はハトを助けるつもりかもしれぬ、そうなればオレが救われんが……”
修行者は静かに言った。
「ワシよ、汝の飢えはこのハトでなければ救えないのか?」
意図が分からず、ワシは沈黙した。
「このハトの肉でなければ、そなたの飢えはしのげないのか?」
修行者が言葉を換えて尋ねると、ようやくワシは口を開いた。
「そんなことはありません。同じ量であれば、私は死なずにすみましょう」
「ならばどうじゃ。同じだけ肉を与えるから、ハトを助けてはくれないか」
“そんな肉がどこにあるというのだろう?”といぶかりつつ見守っていると、驚いたことに出家は、自ら片方の腿の肉をそいで、ハトの目方と合わせた。だが、まだ軽かったのだろう。もう一方の肉をそいで量る。まだ足りぬのか、身体のあちこちの肉をそいで、ハトの目方と同じ量の肉を集め、優しく与えてくれたのだった。
ワシはようやく飢えを満たした。
ハトも死を免れて喜んだ。
ともに生命を全うしたのを見て、修行者も喜んだ。この出家こそ、仏のさとりを求めて修行していた後の仏陀・釈迦牟尼世尊その人であった。
ワシに慈悲心を教えるのも尊い。
ハトに諦観を説かねばならぬこともあろう。
しかしお釈迦様は、最も困難で、苦しい道を進まれた。
最高無上の道だからである。
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