親鸞聖人は、なぜ公然と肉食妻帯(肉を食べ結婚する)なされたのですか?
親鸞聖人と言えば肉食妻帯、肉食妻帯と言えば親鸞聖人と言われるほど、当時僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を公然と行った方として有名です。
なぜ親鸞聖人はわざわざ禁忌を冒してまで、肉食妻帯されたのでしょうか。
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(質問):親鸞聖人は、なぜ公然と結婚されたのですか?
(解答)
親鸞聖人は三十一歳の時に、公然と「肉食妻帯(にくじきさいたい)」をなされました。「肉食」とは魚や獣の肉を食べること、「妻帯」は結婚することです。
親鸞聖人の時代、仏教といえば天台宗や真言宗などの山にこもって修行し、欲・怒り・愚痴の煩悩と闘って、本当の幸せになろうとする教えばかりでした。
そのため僧侶は欲のままに行動する、肉を食べ、結婚することは固く禁じられていました。
当時、僧侶が公然と肉食妻帯することは仏教界だけでなく社会を大騒ぎさせることだったのです。
そんな肉食妻帯を公然とされた親鸞聖人を、“己に素直に生きられたお方”といったイメージを持っている人は少なくないようです。しかし肉食妻帯は、己の欲望のままになされた行動ではありませんでした。
その大胆な行動は、山にこもって修行している人も、生きる為に仕事をしている人も、男も女も、老いも若きも、一切の差別なく、すべての人が、本当の幸せになれる道を教えられたのが、本当の仏教であることを明らかにするためだったのです。
仏教で明かされる「人間の姿」とは
私たちは生きるためとはいえ、毎日、鶏、魚、牛、豚など、どれだけの生き物の命を奪って、肉を食べているでしょうか。
野菜や穀物を作るときにも、多くの虫を駆除しています。
蚊に刺されて一時の怒りで殺したり、楽しむために釣りや狩猟で殺すこともあります。
私たちは当たり前に思っていても、殺される動物は人間に食べられるために生きているとは考えてはいないでしょう。
どんな生き物でも死にたくないと思っています。
船上の魚がピチピチはねるのも、首を絞められる鶏がバタバタもがくのも、苦しいからに違いありません。
お釈迦さまは、すべての生命は平等で上下はなく、生き物を殺すことは「殺生罪」と教えられています。
ところが私たちは、殺生せずしては生きていくことができないのです。
みな肉食しています。
また、結婚していない人もありますが、仏教では、心でどんなことを思っているのか、心を最も問題にします。
それは心が口や体を動かしているからです。
心で思わないことは、口で言ったり、体でやったりすることはありません。
心で異性のことばかり考えていたら、たとえ口や体でやらなくても妻帯しているのと同じだと仏教では教えられています。
そうなるとみな妻帯しています。
すべての人は肉食妻帯しているのです。
肉食妻帯をやめないと本当の幸せになれないとしたら、すべての人は幸せになれないことになります。
親鸞聖人は、肉食妻帯していても本当の幸せになれる道を教えられた本当の仏教を明らかにするために、公然と肉食妻帯されたのでした。
まとめ
親鸞聖人が肉食妻帯をされたのは自分の欲望に正直だったからではなく、肉食妻帯をしているすべての人が本当の幸せに慣れることを明らかにするためでした。
親鸞聖人がそこまでして明らかにされた、本当の仏教とは、どんな教えだったのでしょうか。
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