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倶会一処とは 一蓮托生の意味

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カテゴリー:仏事 タグ:
 

倶会一処

墓参りに行ったときにお墓に「倶会一処」と彫られているのを見たことがあるでしょうか。
色々なお墓に共通して彫られているので気になる方もあると思います。

今回の記事では「倶会一処」の意味について解説します。

目次

  • 「倶会一処」と刻まれた墓石を見ますが、「倶会一処」とはどういうことでしょうか
  • 親鸞聖人と法然上人
  • 法然上人のお歌
  • まとめ

(質問):「倶会一処」と刻まれた墓石を見ますが、「倶会一処」とはどういうことでしょうか

(解答)
墓参りに行きますと「倶会一処」と刻まれた墓石を目にすることがあります。

「倶会一処」は「くえいっしょ」と読みます。『仏説阿弥陀経』に出てくるお言葉です。

「倶会一処」は「倶に一つの処で会う」と書き下します。

倶に(ともに)一つの処(ところ)で会うということで、墓石の下に一緒にいるということではなく、一蓮托生と同じ意味です。

一蓮托生とは

一蓮托生とは「お前と俺は一蓮托生の運命だ」と使うように、結果はどうあろうと最後まで行動や運命をともにすることをいいます。この一蓮托生も、もとは仏教から出た言葉です。

仏教で一蓮托生とは、一つの蓮、同じ蓮の花の上に身を託し生まれ変わることを言います。

倶会一処も一蓮托生も死んで阿弥陀仏の極楽浄土で共に会う、生まれることを言い、同じ意味なのです。

仏教で蓮の花がよく出てくるのはどうしてでしょうか。

親鸞聖人と法然上人

親鸞聖人は29歳のとき、法然上人から真実の仏教を聞かれ、本当の幸せの身になられました。

そして、すぐに法然上人のお弟子となっています。

歎異抄』に「親鸞は法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とありますように、いかに法然上人を尊敬していらっしゃったかわかります。

35歳のときに権力者の無法な弾圧により、法然上人は土佐(高知県)へ、親鸞聖人は越後(新潟県)へ流刑となります。

流刑とは無期懲役のようなものですから、親鸞聖人は法然上人と次いつ会えるかわかりません。

もう二度と会えないかもしれない、この世で永遠の別れをしなければならなくなったのです。

親鸞聖人は法然上人とお別れの際に、一首の歌を詠まれています。

会者定離(えしゃじょうり) ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり

会者定離とは、会った者は離れることが定まっているということで、「会うは別れの始め」「出会いは偶然、別れは必然」と言われるように、どんな人とも必ず別れなければならないときが来ることを「会者定離」といいます。

「会者定離ありとはかねて聞きしかど」、いつかは別れの時が来ると覚悟はしていましたが、「昨日今日とは思わざりけり」、まさかこんな急にやってくるとは思っていませんでした。

親鸞聖人は法然上人と出会ってわずか6年でしたが、生涯において、かけがえのない6年でしたので、いかに悲しまれたか、想像に余りあります。

仏教ではこのような苦しみを愛別離苦(あいべつりく)と言います。

愛別離苦とは、愛する人と別離する苦しみです。世の中には、愛する夫、共に歩んできた妻、感謝していた親、生き甲斐にしていた子供、支えにしていた友と永遠の別れをし、苦しみ悲しんでいる人がたくさんいます。

そんな深い悲しみにふける親鸞聖人に、法然上人は、歌で返されるのでした。

別れ路(わかれじ)の さのみ嘆くな 法の友 また遇う国の ありと思えば

法の友とは親鸞聖人のことです。

これが永遠の別れとなるかもしれないが、そんなに悲しむことはない。たとえこの世で会えなくても、死ねば浄土でまた遇えるから。再度の面会は弥陀の浄土で

倶会一処、一蓮托生のことを言われています。

法然上人のお歌

法然上人にはこのように歌も残されています。

露の身は ここかしこにて 消えぬとも
こころは同じ 花の台(うてな)ぞ

この世は露のようにはかないもので、いつ死ぬかわからないが、
死ねば弥陀の浄土で再会しましょう。

先立たば 遅るるひとを 待ちやせん
はなのうてなの なかば残して

もし私が先に死んだら、後から来る人の為に、
蓮の台の半分あけて待っていましょう。

まとめ

倶会一処(くえいっしょ)とは一蓮托生と同じ意味で、死んだ後に阿弥陀仏の浄土で再会することを言います。

お墓に入った人に「現世ではもう会えないけど来世に極楽浄土でまた会いましょう」という願いをこめて墓石に刻まれているのです。

では誰でも彼でも、倶会一処、一蓮托生、死んで阿弥陀仏の極楽で共に生まれることができるのでしょうか。

それを教えられたのが、お釈迦さまであり、法然上人であり、親鸞聖人なのです。

親鸞聖人は、主著の教行信証(きょうぎょうしんしょう)に明らかにされています。

→ 親鸞聖人の主著、国宝『教行信証』に何が書かれているのか

 

 
 
 
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