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お釈迦様物語 お釈迦様とキサーゴータミー

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カテゴリー:お釈迦様物語 タグ: 更新日:2018/10/05
 

お釈迦様とキサーゴータミー
ひとしきりぐずって眠りについたわが子を、キサーゴータミーは静かに寝台に戻した。
苦しいのか胸がせわしなく上下する。口を半開きにし、汗を浮かべて喘ぐ寝顔もあどけなく、彼女は息子をじっと眺めた。
いとおしさが胸に広がる。ようやく授かった子宝を、初めて胸に抱いた日を思い出す。
小さな体、命一杯の泣き声、しぐさや表情の一つ一つが愛らしく、どれだけ眺めても飽きない。母となってから、毎日が満ち足りていた。
“熱もおさまったみたいだし、昼にはお医者さまへ連れていこうかしら”
坊やは昨夜から機嫌が悪い。突然、獣のような声で激しく泣いた。
忍耐強く彼女は、乳を含ませ、おしめを探る。熱を見たり、発疹はないかと確かめもした。
眠りが浅く、たびたび目を覚ます。その繰り返しで昨夜は明けた。
それがさっき、ようやく寝息を立て始めたのである。
彼女の体はクタクタだったが、“今のうちに、洗濯を済ませておかなくちゃ”と、手早く洗い物をまとめ、起こさぬように注意して川へ走った。
 
幼子を抱え、毎日の家事に終わりはない。
さあ、急がなくちゃ、と仕上げて家に帰り着くと、泣き声は聞こえない。
ホッとして物干しに取りかかった。しばらく眠ってくれれば家事がはかどる。赤子を背負っての重労働を避けられたことが、彼女には幸いに思えた。
どれほど経ったろう。家事に熱中していたキサーゴータミーは、ふと我に返った。
もう昼が近い。“静かすぎる”
 
違和感を覚え、胸騒ぎがした。慌てて寝台に駆け寄り、赤ん坊の頬に手を当てる──かすかなぬくもりはあるが、わが子は息をしていなかった。
胸を拳で一突きされたような衝撃とともに、脈拍が上がり、思考は節度を失った。
急いで赤ん坊を抱きかかえると、一目散に医師の元へ駆け出した。

 

「先生、坊やが……坊やがおかしいんです」
乳児を抱いた主婦が目を異様に光らせ、息せき切って駆け込んできた。
老爺は一瞥し、無言のまま左手で診察台を指して促す。
女が寝かせた嬰児は、両の手を握り締めたまま硬直し、ピクリとも動かない。
一目で事切れているのが分かった。医師は力なく首を振った。
何かを語ったのだが、愛児の異変に理性が飛んだ母親に、医師の言葉はもう聞こえない。
 
赤子の亡骸を抱き上げると、狂わんばかりに往来へ飛び出した。
 
「この子を、この子を生き返らせる人はありませんか」
鬼気迫る必死の形相で、キサーゴータミーは行き会う人々、だれかれとなくすがりついた。
「大事な一人息子なんです。ようやく授かった子です。どうか、どうか助けてください。今は息をしていませんが、きっと吹き返すはずです。どこかに名医はおられませんか」
 
彼女の叫びが熱くなるほど、手だてのない哀れさ、悲しさは増していく。
遠巻きに眺めつつ、人々は涙を流したが、死者を生き返らせる法など、もとよりあろうはずがない。
あまりのことに見かねて、ある人が彼女にささやいた。
「舎衛城にまします仏陀・釈迦牟尼に聞かれるがよい」
 
沈み切っていた彼女の表情にかすかな光がさした。初めて聞く御名だが、あらたかな修行で力を得られた方に違いない。
愛児の笑顔が再び見られると固く信じて彼女は、すでに冷たくなり始めたわが子の骸を大事に抱え、舎衛城へ走りだした。

お釈迦様とキサーゴータミー

お釈迦様物語お釈迦様とキサーゴータミー

いとし子の骸が氷柱のように、ズシリと腕に食い込む。舎衛の街からかなり歩いてきたが、“もう一度坊やの笑顔が見たい”の一心で、今は疲れを感じる暇もない。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にまします仏陀・釈迦牟尼にお会いすれば、きっとこの子は息を吹き返す。
青白い息子の顔をのぞき込み、胸張り裂けんばかりの気持ちを落ち着かせてゴータミーは、郊外へ延びる一本道をひたすら歩み続けた。
精舎にたどり着くと、すぐに仏陀への面会を請うた。
不憫なこの女の来訪を感知なされたのか、許しはすぐに頂けた。
 
キサーゴータミーは、初めてお会いする釈尊のあまりの威徳に打たれ、この方ならば、の思いを一層強くする。ここへ来た経緯を申し上げ、頭を床にすりつけた。
静かに聞いておられた釈迦牟尼は、彼女の話が終わると優しく仰せられた。
 
「そなたの気持ちはよく分かる。愛する子を生き返らせたいのなら、私の言うとおりにしなさい」
救われた心地がして、ゴータミーは大声で返した。
「どんなことでもいたしますから、どうかお教えください」
 
「これから街へ行って、ケシの実を一つかみ、もらってくるのです。すぐにも子供を生き返らせてあげよう」
思いがけぬ言葉に彼女は、二つ返事で、早速、街に向かって走りだそうとする。その背中に向かってもう一言、釈迦は御声をかけられた。
 
「ただし、どんなケシでもいいのではない。今まで死人の出たことのない家から、もらってくるのです」
はやる気持ちを抑え、その言葉の意味も知らぬまま、彼女は精舎を飛び出した。
 
ただただ夢中で駆け続け、目についた家からしらみつぶしに訪ねていく。
初めの家では中年の男が“昨年、父が死んだ”と言った。
丁寧に辞して隣へ向かうと“夫が今年、亡くなった”と、今度は老女が答えた。
怪訝そうに出てきた向かいの主婦は“ついこの間、子供に死別した”と顔をしかめた。
同じ境遇の相手に、ゴータミーの心はうずいたが、躊躇している猶予はない。次々と訪ねては聞いていく。
どの家庭にもケシの実はあるが、死人を出さない家は一軒としてなかった。

彼女は、なおも“ケシ”を求めて駆けずり回った。

ケシの実

やがて日も暮れ、夕闇が街を包むころ、ゴータミーはようやく疲れを感じて立ち止まった。
もはや歩く力も尽き果てた。トボトボと釈尊の元へ戻ってひざまずく。
「ゴータミーよ、ケシの実は得られたか」
「世尊、死人のない家はどこにもありませんでした……私の子供も死んだことがようやく知らされました」
「そうだよ、キサーゴータミー。人は皆死ぬのだ。明らかなことだが、分からない愚か者なのだよ」

「本当に馬鹿でした。こうまでしてくださらないと、分からない私でございました。こんな愚かな私でも、救われる道を聞かせてください」
彼女は深く懺悔し、仏法に帰依したという。
 

時には、事実に話すよりも、何か実行させることによって、受け入れることができる、そういうこともあります。
お釈迦様は、キサーゴータミーに伝えようとされたのは、実行させねば分からない重い真実であったのでした。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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