お釈迦様物語 お釈迦様と自殺志願の娘
足が棒になって動かない。身重の体は、疲れで鈍く火照っている。
朝から当てもなくさまよって、この大きな橋にたどり着いた。日はもう中天にある。陽光にきらめく川面をぼんやり眺めながら、女はここ数日の出来事を思い出している。“もう、何もかもがイヤになったわ”小さく一人ごちた。
その瞬間、つかえが外れたように膝を折って、彼女は辺りをはばかりながら、たもとへ石を入れはじめる。自殺の準備だった。
ややあって、背後から呼びかける声があった。
「……もし、そなた」
熱中していた彼女は、ハッと我に返り、顔を上げた。振り向くと、少し離れた所に、一目でそうと分かる尊い方のお姿がある。
涼やかな、慈愛あふれるまなざしが、すべてを了解したように向けられていた。たもとを隠し、恥じらいながら、彼女は立ち上がった。
名乗られたお名前には聞き覚えがある。最高のさとりを開いたお釈迦様が、各地で説法なされていると、世事に疎い彼女も聞いたことがあった。
“この方が……?あのお釈迦様……”
わずかな光が心に兆す。慈悲深い尊容に安心感を覚えた彼女は、思わず知らず語りはじめた。
「お恥ずかしいことですが……、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。世間の目はいよいよ冷たく、お腹の子の将来など考えますと、死んだほうがどんなにましだろうかと、ただ苦しむばかりです。どうかこのまま死なせてください……」
あとは言葉にならず、その場にしゃがみ込んだ。直後に響いたのは、威厳に満ちた仏陀の声だった。
「愚かなそなたには、例えをもって教えよう」
雷鳴に驚いた幼子のように、彼女は身を硬くして聞き入った。
「ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。
つくづくその牛は思った。
“なぜオレは毎日、こんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめているものは一体何なのか”と」
腹に手を当て、男を思い出す。責める心が胸の中で暴れていた。秘めた怒りや憎しみが膨れ上がり、自分でどうしようもなくなる。例え話は続く。「“そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだ”
牛は車を壊すことを決意した。
ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
ところが飼い主は、“こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなければまた壊される”と、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。
それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。その車で重荷を、同じように、毎日、引かせられ、以前の何百倍、何千倍、苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった」
一言一言が心に刺さり、“この牛は私だ”と、身震いしながら彼女はお釈迦様を見る。優しいまなざしが向けられていた。
「牛がちょうど、車さえ壊せば苦しまなくてもよいと思ったのと同じように、そなたは肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならないのだ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」
“あぁ……、何と私は愚か者であったのか。お釈迦様にお会いしなければ、自ら苦しみの世界へ飛び込んでいたに違いない。危ないところであった”
すべてを受け入れると、転嫁の苦しみが引いた。わが身の一大事を知った彼女は直ちに仏門に入り、救われたという。
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