お釈迦様物語 お釈迦様の最初の弟子は誰だったのでしょうか
お釈迦様物語 お釈迦様の成道と最初の仏弟子
静かな午後。溝陳如(きょうちんにょ)は大樹の下に座を設け、心を静めようと目を閉じた。
ほかの四人は早々に瞑想に入ったらしい。
彼らのかすかな息遣いを感じながら、落ち着こうと呼吸を整えるが、どうにも溝陳如は集中できない。
原因は分かっている。悉達多太子(しったるだたいし)と決別したからだ。
〝太子よ、なぜあれだけの苦行に励んでいたのに、突然、修行を断つようなことを……?〟
頭の中を、さまざまな思いが巡っていた。
数週間前まで彼らは、悉達多太子(後の仏陀、お釈迦様)と行動をともにしていた。
溝陳如は、太子の身の回りの世話をせよ、と太子の父・浄飯王(じょうぼんおう)によって遣わされた五人の臣下の一人だ。
故郷のカピラ城を捨て、真理を求めて修行を始められた太子を、父王が心配してのことである。
だが彼らの来訪を、太子は拒絶した。
「身の回りの世話などされては、修行にならぬ」
というのだ。そこで彼らは思案の末、
「私たちも共に出家し、修行いたします。どうかお許しください」
と申し出、ようやくお側での起居を許可された。
そうして生活をともにするうち、やがて五人は、太子の求道心の気高さに心引かれ始めた。
特に溝陳如は、さとりを求める太子の姿に感動し、自らも心から真理を求めるようになっていった。
修行開始から六年がたとうとしていたある日、肉体を痛めつける激しい修行によって憔悴していた太子が、無言で座を立ちヨロヨロと歩き始めた。
〝一体どうしたのだ?〟
衰弱した太子の身を案じ、溝陳如は後を追う。
向かったのは、近くを流れるニレゼン河であった。
すると太子は何を思ったか、河に身を沈め、水浴びを始めたではないか。
それだけではない。あろうことか、通りかかった女から乳粥の布施を受けたのだ。
溝陳如はわが目を疑う。沐浴も女人との会話も修行者にあるまじき行為。
「悉達多は弱い心に負け、苦行を棄てた。彼は堕落したんだ」
彼の口から太子を非難する言葉が噴き出した。
裏切られた思いで、すぐにその場から離れ、太子の元を立ち去る準備を始めた。
これからどうしようなどとは思わなかった。
とにかく堕落した者を遠ざけ、自分だけでも修行を続けよう。
真理を求めるんだ、と四人の仲間を引き連れ、この波羅奈国(はらなこく)鹿野苑(ろくやおん)へやって来たのである。
数日後、自ら決別したとはいえ、さまざまな迷いが胸に去来する。
〝本当にこれでよかったか。何か深い訳でもあったのか……オレの行動は拙速だったのかもしれない……〟
そんな思いが浮かんでは消え、どうにも修行に身が入らないのだった。
「ええい」と目を開けたその時、仲間の一人が叫んだ。
「おい、あれは太子ではないか?こちらに向かってくるぞ。あの堕落した悉達多が……」
声に導かれ、指さす方角を眺めると、遠く、ゆっくりと、人影が大きくなってくるのが見えた。
紛れもない。それは、彼らが仕えていた釈迦族の太子・悉達多であった。
「いったい、何をしに来たのだろう……?」
だれともなくつぶやく声に、溝陳如は不安を募らせた。
どうしてここに現れたのか。
溝陳如の不安は膨らんだ。太子と離れたのは、果たして本当に正しかったのか。抑えていた思いが再び湧き起こる。
〝苦行を捨てる深い訳があったのでは……〟
太子の出城の経緯をよく知るゆえに彼は迷い、六年前を思い出していた。
当時、何も告げずに城を出た太子を捜し求めること幾百里。
ついに出会った時、悉達多は一樹の下で端座瞑想していられた。
沈思する太子に、言葉を尽くして翻意を請うたのは、他ならぬ溝陳如自身である。
ありったけの情に訴えた説得に太子は、だが静かにこう言われた。
「お前たちには分からないのか。あの激しい無常の嵐が。まだ分からないのか。ものは皆、常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれの日にか滅ぶのだ。
快楽のかげにも無常の響きがこもっているのだ。
美女の奏する絃歌は欲をもって人を惑わす。三界は悩みのみ、猛き火のごとく、幻や水泡のごとし。
若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」
耳に残る熱き信念が今も太子にあるのだろうか。
やはり何か理由があって沐浴し、女から乳粥の布施を受けたのであったか。
だがその本意が分からず、溝陳如の心は大きく揺れている。
「一体、何をしに来たのだ?」
一人つぶやいた仲間の声に、心と裏腹の強い言葉が彼の口を突いた。
「ともかく悉達多は堕落した。あんな者を相手にしてはならんぞ」
車座になるよう皆を促し、太子に関わらぬよう示し合わせる。
なおも近づいてくる太子の気配を感じながら、彼は視線を向けぬよう努める。
他の四人も同様に、涼しい顔を装った。
だが威厳のある、それでいて包み込むように優しい空気が頬をなでた。
(別れる前とは明らかに異なる…)
溝陳如は太子の変化を確かめたくて仕方がなくなり、さっき仲間と交わした約束ももう守っていられなくなった。
堪え切れず悉達多太子の姿を見た時、彼は確信した――
堕落どころではない。まさしく指の先までが大覚成就の尊容。一切覚者、仏陀となられたのだ。
「せ……世尊 」
思わず声を出して駆け寄る。
ある者はひれ伏し、ある者は衣鉢を取り、ある者は座を設け、ある者は洗足水をもって仏足を礼拝した。
仏陀の威徳に、皆、ぬかずいたのである。
「我は一切の知者となれり。一切の勝者となれり。我ついに永遠の目的を成就せり。我はそなたたちに無上の法を授けに来た。ここに真理を説こう。よく聞くがよい」
これが地球上における、仏陀の初めての説法、初転法輪(しょてんぽうりん)である。
人々の荒れ果てた心の大地に、初めて法輪が転ぜられたのであった。
釈迦四十五年間のご布教が、ここに開始され、溝陳如たち五人は最初の仏弟子となったのである。
*三界……迷いの世界
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