阿弥陀如来とお釈迦さまは同じ仏さま?一番有名な仏さまは?
仏教にはたくさんの仏さまのお名前が出てきます。
大きなお寺に行くと色々な仏像が安置されていて、それぞれ「これは〇〇仏、これは〇〇如来」などと名前が書かれていますし、お経を読むと様々な仏さまのお名前が載っています。
その中でも特に有名なのがお釈迦さま(釈迦如来・釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏(阿弥陀如来)です。
お釈迦さまと阿弥陀仏はどこがどう違うのでしょうか。
そもそも別の仏なのでしょうか。
今回はお釈迦さまと阿弥陀仏の違いについて、また阿弥陀仏とはどんな仏さまかについて解説します。
(質問):お釈迦さまと阿弥陀仏(阿弥陀如来)は、同じ仏さまですか?
「仏といったら呼び方が違うだけで、皆同じだろう」と思っている人が少なくありませんが、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏とは、全く違う仏さまです。
ちなみに「釈迦如来と釈迦牟尼仏、阿弥陀仏と阿弥陀如来ってどう違うの?」と思われた、仏と如来の違いについてまず知りたい方はこちらをお読みください。
→ 如来と菩薩はどちらが偉いの?
お釈迦さまは2600年前にインドに生まれられた方で、地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。
お釈迦さまについて知りたい方は、こちらをお読みください。
→ お釈迦さまとは、どんな方なのですか?
そのお釈迦さまが、「私の先生を紹介しよう」と、私たちに教えてくだされたのが、阿弥陀仏(略して「弥陀」とも呼ばれる)といわれる仏さまなのです。
(質問):お釈迦さまと阿弥陀仏の関係を、詳しく教えてください
(解答)
お釈迦さまと阿弥陀仏の関係について、お釈迦さまが教えられていることを、蓮如上人(れんにょしょうにん)という方がわかりやすく教えられています。
ここに弥陀如来と申すは、三世十方(さんぜじっぽう)の諸仏の本師・本仏(ほんし・ほんぶつ)なり。(蓮如上人)
「阿弥陀仏は十方諸仏(じっぽうしょぶつ)の本師本仏(ほんしほんぶつ)ですよ」と教えられています。
では十方諸仏とは何かと言いますと、まず「十方」とは、仏教で大宇宙のことを指します。
この大宇宙には地球のようなものが無数に存在します。地球は大宇宙の中の塵にすぎません。
そして地球に釈迦が現れたように、大宇宙には数え切れないほどの仏が現れていると、お釈迦さまは説かれています。
それらの仏を「十方諸仏」といわれます。
有名なところで言えば、大日如来や薬師如来、奈良の大仏・ビルシャナ如来などは皆、十方諸仏の中の一仏です。
もちろんお釈迦さまも十方諸仏の中の一仏です。
次に「本師本仏(ほんしほんぶつ)」とは、師匠、先生という意味ですから、阿弥陀仏はあらゆる仏の先生であるということです。
では、お釈迦さまとの関係はどうなるでしょうか。
地球ではお釈迦さま以上に偉い方はありませんが、大宇宙からいえばお釈迦さまも十方諸仏の一人ですから、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係は、師匠と弟子、先生と生徒に当たります。
ですから阿弥陀仏が上、お釈迦さまが下です。
ここまでの内容をまとめた動画がこちらです。
阿弥陀仏が「本師本仏」といわれる理由
阿弥陀仏が大宇宙のすべての仏から「本師本仏」と尊敬されるのは、他の仏にない優れた力を持っていらっしゃるからです。
阿弥陀仏の阿弥陀(アミダ)とは
そもそも、阿弥陀仏の阿弥陀(アミダ)とは、どういう意味でしょうか。
昔のインドの言葉に「アミダバーハ」「アミダユース」という言葉があります。
アミダバーハとは「光明無量」、アミダユースとは「寿命無量」という意味です。
阿弥陀仏には大きな特徴が2つあり、それが「光明無量」と「寿命無量」です。
「光明無量」と「寿命無量」の2つの大きな特徴をもたれているので、「アミダバーハ」と「アミダユース」に共通している「アミダ」をとって、アミダの仏で阿弥陀仏と言われます。
光明無量と寿命無量
阿弥陀仏の2つの特徴について説明しますと、
光明無量とは、まず光明とは仏教で仏さまのお力をいいます。
「親の七光」といえば、親の威光、親の光のことを表すように、光明とは仏さまのお力のことです。
阿弥陀仏のお力は、他の仏さまの力よりもずば抜けていますので、無量のお力の仏=無量の光明をもたれた仏=光明無量の仏といわれます。
寿命無量とは寿命に限りがないということで、阿弥陀仏のお力が永遠に途切れることがないことを教えられています。
阿弥陀仏のずば抜けたお力とは
阿弥陀仏のずば抜けたお力とはどんな力なのか。親鸞聖人は教えられています。
無明長夜の闇を破し
(むみょうちょうやのやみをはし)
衆生の志願を満てたまう
(しゅじょうのしがんをみてたまう)
「無明長夜の闇を破るお力だ」と言われています。
無明長夜の闇とは、無明の闇(むみょうのやみ)のことです。
阿弥陀仏の力とは、無明の闇(むみょうのやみ)を破る力、無明の闇をなくする力であると教えられています。
無明の闇を破る力とは
無明の闇とは私たちの心にある暗い心で、親鸞聖人は「無明の闇がすべての苦しみの根元である」と教えられています。
私たちは幸せを求めて、日々あくせくと働き、欲しいものを手に入れようと努力しています。
しかし無明の闇という暗い心があるから、どんなに物に恵まれ、生活が便利になっても、心から満足することができないと教えられます。
この苦しみの根元である無明の闇が破れると、苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わり、心から満ち足りた本当の幸せになれますので、本当の幸せになれない原因は、無明の闇という暗い心があるからだと教えられています。
そして、無明の闇を破る力が阿弥陀仏の力であると明らかにされています。
親鸞聖人は、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の冒頭に
無碍の光明(むげのこうみょう)は無明の闇を破(は)する慧日(えにち)なり
と別の表現で書かれています。
無碍の光明とは、阿弥陀仏のお力のことをいいます。
無明の闇を破る阿弥陀仏のお力を「本願他力(ほんがんたりき)」また「他力本願(たりきほんがん)」と言われます。
無明の闇とは何か、他力本願の正しい意味は?詳しくはこちらへ
→ 「他力本願」の誤解と本当の意味とは?
まとめ
お釈迦さま(釈迦如来、釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏(阿弥陀如来)は違う仏です。
阿弥陀仏は大宇宙のすべての仏の師匠、先生の仏です。
一方でお釈迦さまは大宇宙の仏の一仏ですから、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係は、阿弥陀仏が師匠で、お釈迦さまが弟子になります。
それだけ阿弥陀仏が称賛されるのは、阿弥陀仏の力が他の仏と比べてズバ抜けてすごいからです。
どのような力かと言いますと、私たちの苦しみ悩みの根元である「無明の闇」を破る力です。
この無明の闇を破る阿弥陀仏のお力を「本願他力」とか「他力本願」と言われます。
以下は、少し難しいですが、仏典のお言葉の根拠を知りたい方は、お読みください。
無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして
諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり (大無量寿経)
諸仏の中の王なり
光明の中の極尊なり
光明の中の最明無極なり (大阿弥陀経)
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