ホントは強いぞ他力本願|どんなトラブルにも“折れない心”になる
「他力本願」と聞くと、皆さんは何を想起するでしょう。
主体的に行動を起こさず、いつも他人任せ。そんな無気力で無責任な人物像を思い浮かべる人もあるのでは?
元は仏教用語だとは知っていても、その正しい意味は悲しいほど知られてはいないようです。
このブログで「他力本願」のイメージを刷新していただきたいと思います。
他人任せで主体性がないのが「他力本願」ですか?
「他力本願から抜け出そう」
かつて、ある企業のこんな新聞広告が議論の的となったことがあります。
「他力本願」の「他力」を他人の力と理解し、“他人のふんどしで相撲を取る”とか“人の提灯で明かりを取る”ことだと思っていたのでしょう。
「他力本願」のことを、力のない人間が力のある人に助けを求める依存心だと思っている人は決して少なくありませんから、
「他力本願な性格を直したい」
と反省してみたり、
「今度こそ変わると言っていたのに、やっぱり他力本願じゃないか」
「そんな他力本願じゃダメ」
という声が多く聞かれます。
確かに、何事も他人任せで主体性がなければ、社会生活はうまくいきません。
「他力本願」がそんな意味なら、もっともな指摘です。
しかし、本来の「他力本願」とは決してそのような意味ではないのです。
前向きで積極的なたくましい親鸞聖人
「他力本願」の語源は仏教にあります。
この「他力本願」を教えられた親鸞聖人、蓮如上人はいずれも他人任せの消極的な生き方とは正反対の前向きで積極的な方でした。
例えば、親鸞聖人は宗教を否定する共産主義者からも「たくましき親鸞」とたたえられ、あらゆる主義、主張、立場、職業の人から称賛されています。
「弱々しい」なんて思う人は皆無といっていいのでは。
聖人の生涯を知れば、それは明らかだからです。
親鸞聖人のご生涯についてはこちらへ
→ 親鸞聖人のご生涯(早わかり年表)
強くしなやかに生き抜かれた蓮如上人
その親鸞聖人の教えをひとえに受け継がれた室町時代の蓮如上人も、応仁の乱世を実に強く、しなやかに生き抜かれました。
H29年に大変な話題となった映画『なぜ生きる──蓮如上人と吉崎炎上』にも、その片鱗が描かれています。
ストーリーの一部を紹介しましょう。
43歳で法主となられた蓮如上人が親鸞聖人の教えを熱烈に伝えられると、各地から老若男女が上人の元に群参し始めた。
参詣者であふれる本願寺は増築に次ぐ増築。
急速に発展する浄土真宗を、当時、勢力を誇っていた比叡山(京都と滋賀の境にある山。天台宗の本山がある)や他宗派は脅威と感じ、敵視するようになる。
緊張高まる寛正(かんせい)6年(1465)1月、槍や長刀で武装した比叡山の僧兵たちが本願寺を襲撃。
蓮如上人51歳の時のことであった。
この「寛正の法難」によって、本願寺の建物はことごとく破壊されたが、人々の蓮如上人の法話を聞きたい思い、聞法心はますます燃え上がり、その求めに応じて蓮如上人は、どんな危険を冒しても法話に赴かれた。以来6年、福井県吉崎に布教拠点である「吉崎御坊」が建立されるまで、各地を転々とされ、首に賞金を懸けられながらも、蓮如上人は布教一つに徹された。
いかなる迫害にも屈せぬ、このたくましい行動は、
「一刻も早く、親鸞聖人の教えを皆に、お伝えしなければならぬ」
の御心一つです。
こんなバイタリティーが、他人任せの消極的な教えから出てくるでしょうか。
信長、秀吉、家康も浄土真宗を恐れた
時代は下って、蓮如上人が建立された大坂・石山本願寺に集った多くの人たちが、当時、飛ぶ鳥も落とす勢いの織田信長と戦った石山合戦の史実からもそれは明らかです。
永禄11(1568)年、天下布武を目指して上洛し、畿内を治めた織田信長が、本願寺の顕如(けんにょ)上人(蓮如上人より3代後の法主)に立ち退きを要求してきた。
アジア諸国や欧州との交易も画策する信長は、どうしても大坂の地を手に入れたかったのである。
断固拒絶した本願寺は、元亀元(1570)年、ついに信長と全面対決に。
“たかが農民、町民、坊主の集まり”と高をくくっていた信長軍の猛攻に、他力本願の信仰に支えられた門信徒たちは、10年以上の長きにわたって戦い抜いたのである。
その団結力は、江戸時代の儒学者、頼山陽(らいさんよう)をして、
「豈(あに)図(はか)らんや 右府(うふ・信長のこと)千軍の力 抜き難し 南無六字の城」
※南無六字の城……南無阿弥陀仏の六字を御本尊とする本願寺のこと
と驚嘆させたほどだった。
この戦争で信長軍はかつてない大損害を被り、多くの歴史家が“石山戦争こそが、信長の天下統一を阻んだ”と評している。
石山戦争を目の当たりにした豊臣秀吉も徳川家康も、本願寺対策に大いに苦慮しました。
秀吉は本願寺と敵対する愚を思い知り、本願寺に京都の広大な土地を寄進します。
それが現在の西本願寺です。
その秀吉亡きあと天下人となった家康も、若いときに三河一向一揆(戦国時代に浄土真宗(一向宗)の信徒たちが起こした権力者への抵抗運動)に遭い、他力本願の強さが身にしみていました。
だからこそ家康は、参謀役の知恵袋・天海(てんかい)の策略を入れ、石山合戦の際に本願寺内で生じた和戦派(後に西本願寺となる)と抗戦派(後に東本願寺となる)の対立を利用して、抗戦派を取り込み東本願寺創立を画策。本願寺の強大な勢力は、ここに東西に二分されてしまったのです。
このように、天下人が畏怖するほどの力を誇った根底には、親鸞聖人の教えを奉ずる団結力がありました。
その教えこそが「他力本願」なのです。
「他力」とは阿弥陀仏の本願力
では「他力本願」とはどんな教えなのでしょう。
まず「他力」について聖人は、簡明にこう述べておられます。
『他力』と言うは如来の本願力なり。
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』
「如来」とは仏の別名です。
ここではすべての仏の本師本仏(先生)の阿弥陀仏のことを言われています。
では阿弥陀仏とはどんな仏様なのでしょうか。
2600年前、地球上で唯一仏のさとりを開かれたお釈迦さまは仏の智慧によって阿弥陀仏の実在を知り、私たちに紹介されたのです。
お釈迦さまは大宇宙には地球のようなものが無数にあり、それぞれの世界に仏さまが出現されている、と説かれています。
今日の天文学では、地球の属する銀河系だけでも太陽のように自ら光と熱を放つ恒星が2千億~4千億個あるといわれています。
その星々がおのおの惑星を持っており、その中に地球のように生物の存在する星があると考えられています。それが宇宙全体に及べば膨大な数になり、その各々の星=世界に仏さまが現れている、と仏教では教えられているのです。
それを「恒河沙数(ごうがしゃしゅ・インドのガンジス河の砂の数)の諸仏」といい、その無数といってもいいほどの仏方の先生である、最も偉大な仏さまが阿弥陀仏だと教示されています。
その阿弥陀仏が、大宇宙のすべての人を相手に大変素晴らしい約束をなさっている。それが阿弥陀仏の「本願」です。
お釈迦さまも阿弥陀仏のお弟子であり、この阿弥陀仏の本願(お約束)一つを私たちに伝えるために地球上に現れられた方であると、親鸞聖人は仰せです。
月と太陽、どちらが偉大か
先生が子供たちに、
「月と太陽、どちらが偉大かな?」
と尋ねると、子供たちは口々に、
「ハーイ、先生、それは月です。だって月は闇夜を照らしてくれますが、太陽はもともと明るいところを照らすだけだから」
と答えた。
これは『世界のジョーク事典』にある笑話ですが、闇夜を照らす月光は何によるものでしょう。
言うまでもなく、太陽の圧倒的な光を受けて月光は闇夜をほんのり照らしているのです。
もし太陽がなければ、この世はどこもかしこも闇に包まれています。
ここで太陽とは阿弥陀仏を、月はお釈迦さまを例えています。
大宇宙には数え切れない仏(諸仏)がましますが、阿弥陀仏のお力はそれらの諸仏とは比較にならないダントツであることを、弟子のお釈迦さまは、
「阿弥陀仏は諸仏の王さまである」
「最尊第一の仏さまですよ」
と多くの経典に説かれ、この阿弥陀仏のお力(他力)によらねばすべての人は本当の幸福にはなれない、と教導されています。
先の笑話でいえば、日光を受けての月光ですから、釈迦の偉大さは阿弥陀仏の弟子として先生の絶大なお力(他力)を私たちに紹介してくだされた一点にあるのです。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」
(にょらいしょいこうしゅっせ ゆいせつみだほんがんかい)如来世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんがためなり
と説かれています。
釈迦の七千余巻の一切経は唯一つ、阿弥陀仏の本願を説かんがためでありました。
仏教の全てはこの阿弥陀仏の本願一つを教えるためのもの。
ですから、私たちは阿弥陀仏の本願一つを聞けば仏教全てを聞いたことになり、阿弥陀仏の本願一つが分かれば仏教全てが分かったことになる。
その阿弥陀仏のお力、本願力を他力というのです。
まとめ
他力本願と聞きますと、他人の力に頼ることだと思われています。
だから「人に頼ってばかりいてはダメだ」と言うときに「他力本願ではダメだ」と言っています。
しかし他力本願の本当の意味はそんな意味ではありません。
他力とは阿弥陀仏のお力のことです。
本願とはその阿弥陀仏が大宇宙のすべての人を相手にされている約束のことです。
その他力本願を伝えられた親鸞聖人、蓮如上人の波瀾万丈の生き様。
他力本願の教えを聞いていた浄土真宗の門徒の力強さを知れば、他人任せの弱弱しい人間像とはまったく違うことがわかります。
この他力本願の真の意味を知れば、私たちの人生は大きく変わり、本当の幸せに向かって、たくましく前進することができるのです。
他力本願についてはこちらの記事でも解説しています
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