覚如上人とは?浄土真宗の教団の基礎を築かれる親鸞聖人の曽孫
浄土真宗では、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の三方を、善知識(ぜんぢしき)といって、大変、尊敬しています。
善知識(ぜんぢしき)とは、正しく仏教を伝える先生のことです。
覚如(かくにょ)上人は、親鸞聖人の曽孫ですが、どんな方だったのでしょうか。
教団結成への志
親鸞聖人ご自身は「親鸞は弟子一人ももたず候」、私には弟子など一人もいないと仰っていますが、親鸞聖人を師と仰ぐ人は、当時から、たくさんいました。
親鸞聖人の教えを、正しく、後世へ伝えていく為には、それらの人が団結し、強固な組織を作ることが必要不可欠です。
その必要性を痛感した覚如上人は、青年期から教団結成の志を抱かれます。
著作の活動
その為には、親鸞聖人のことを多くの人に知ってもらう、そして、親鸞聖人の教えを正確に伝えることが重要だと考えられました。
永仁3年(1295年)、覚如上人26歳の時に、分かりやすく感動的な伝記、親鸞聖人伝記を制作されました。
これは「御絵伝(ごえでん)」と呼ばれる「絵巻物」と「御伝鈔(ごでんしょう)」という文章で構成されたものです。
今日でいうと紙芝居みたいなものです。
親鸞聖人の名前すら知らない人にも、親しみやすいものとなりました。
執持鈔(しゅうじしょう)口伝鈔(くでんしょう)を著(あらわ)され、親鸞聖人の教えを名文で明らかにされると同時に、親鸞聖人の教えに反する異説を、ことごとく改邪鈔(がいじゃしょう)で破られるなど、82年の生涯で、多数の著作を残されています。
覚如上人が、親鸞聖人の教えを正確に伝えることに命を懸けておられたことは、自分の長男の存覚(ぞんかく)が、親鸞聖人の教えを捻じ曲げていたことを知り、勘当されたことからも窺えます。
浄土真宗の教団の産声
延慶3年(1310年)、覚如上人41歳の時、京都東山の大谷にある親鸞聖人の御廟(墓所)の留守職(管理人)になった覚如上人は、そこを単なる墓所ではなく、親鸞聖人の教えが説かれる道場(寺院)に発展させるために、努力されます。
多岐にわたる覚如上人の精力的な活動により、親鸞聖人の教えを正しく聞いて、正確に伝える者の集まりが創設されました。
こうして浄土真宗の教団が産声をあげたのです。
こうして、親鸞聖人の教えのバトンは、親鸞聖人から覚如上人、そして、蓮如上人へと受け継がれていくのです。
最新記事 by あさだ よしあき (全て見る)
- お盆に墓参りだけでいいの?今からできる恩返しの方法とは - 2018年8月30日
- 幸せの花ひらく 「因果の法則」を身につける - 2018年6月27日
- 生きる意味は何か|それをブッダはたとえ話で教えている - 2018年6月5日