お釈迦さまの「天上天下唯我独尊」の本当の意味をご存知ですか
「天上天下唯我独尊」という言葉を時々耳にすると思います。
「あの人はいつも唯我独尊な態度だ」
「唯我独尊な人生を生きていて気楽そうだな」
などと「自分が一番」と偉ぶってうぬびれている人に対して「唯我独尊」という言葉が使われますが、これは本当の意味ではありません。
本当の「天上天下唯我独尊」はすべての人の命に等しい価値があることを教えられた言葉なのです。
正しい「天上天下唯我独尊」の意味を説明します。
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お釈迦さまの「天上天下唯我独尊」の本当の意味
「唯我独尊」とは、「唯、我、独り尊い」だから、俺一人が偉いのだという意味だと思っている人がほとんどです。実際、辞書で調べてみると、そのように説明されていますので、間違いないだろうと思っています。
確かに、一般的な意味はそうなのですが、実は、このお言葉は、お釈迦さまのお言葉なのです。
今日、四大聖人、三大聖人といわれても、必ずお釈迦さまの名前が挙がります。
今まで地球上に存在した人の中で、偉人ベスト4、ベスト3に入るということです。
そんな立派なお釈迦さまが果たして、「俺一人が偉いのだ」と偉ぶったことをおっしゃるでしょうか。
「実るほど 頭の垂れる 稲穂かな」
昔から
「実るほど 頭の垂れる 稲穂かな」
といわれます。
まだ実っていない時は稲はピーンと立っていますが、実りの秋になりますと稲穂は頭を垂れるようになります。
人間でも未熟な時は、「自分ほどできる者はない」と自惚れますが、いろいろと経験していくと周りのことも見えてきて、腰の低い人になっていくものです。
また
「下がるほど 人の見上ぐる 藤の花」
ともいわれます。
藤の花が下がるほど、きれいな花だと、人が見上げるように、人間も、謙虚な人ほど、周りの人たちから立派な人だと敬われます。
逆に何歳になっても「自分が一番、自分が正しい」という態度な人は子供な人だと見られます。
そんなことをお釈迦様が仰るはずがありません。
では、お釈迦さまが「俺一人が偉いのだ」と仰ったのではないとしたら、「唯我独尊」の本当の意味は、どうなるでしょうか。
「唯我独尊」とは
「唯我独尊」の「我」は、お釈迦さまだけのことではなく、我々、すべての人間のことなのです。
「唯我独尊」とは、ただ我々人間のみが果たしうる尊い使命、崇高なたった一つの目的を持っている、という意味です。
何の為に生まれてきたのか
何の為に仕事をして生きているのか
苦しくても生きねばならないのはなぜか
人生の目的を教えられたのが、お釈迦さまであり、仏教なのです。
すべての人には尊い目的がある。ここから仏教の平等思想が出ています。
お釈迦さまは2600年前に「万人は平等なり」と仰っています。
お釈迦さまがおられた当時のインドでは、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラといわれる、厳しい社会の階級(カースト制度)がありました。
バラモン(僧侶)とクシャトリヤ(王族)は、ほとんど、同等の貴い身分とされていましたが、ヴァイシャ(一般庶民)はそれらに対して婚姻はもちろん、交際から職業の自由までも禁じられていました。
シュードラ(奴隷)にいたっては、直接それらと言葉も交わすことができないという、虫けら同然にみなされていました。
そのカースト制度の中にありながらお釈迦さまが身分制度を打ち破って、どんな人も尊い目的を果たす為に人間に生まれてきたのだと、すべての人は平等であると仰ったのが「天上天下 唯我独尊」のお言葉なのです。
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