「滅相もない」は仏教から出た言葉|「滅相」とはどういう意味か?
4月8日はお釈迦様の誕生日です。
この日の朝、テレビ朝日系列で放送中の「グッドモーニング」の「ことば検定」で林修先生が、生まれてすぐのお釈迦様が「天上天下 唯我独尊」と仰ったことにちなんで、仏教の言葉について解説していました。
(問題)仏教に由来する言葉は?
1、めっそうもない
2、みっともない
3、ペットの鳥に泣き言
答えは、1の「めっそうもない」です。
「めっそうもない」とは「とんでもない」「あるべきことではない」という意味です。
漢字で書くと「滅相もない」です。
「とんでもない」と比べて、目上の人に使われることが多いのが「滅相もない」です。
この「滅相」が仏教から来た言葉なのです。
「滅相」とはどんな意味で、どうして「滅相もない」が「とんでもない」という意味になったのでしょうか。
滅相とは
「滅相」とは「四相(しそう)」の中の1つで、「四相」とは「生相」「住相」「異相」「滅相」の4つをまとめた言い方です。
頭を取って「生住異滅(しょうじゅういめつ)」とも言われ、すべてのものには「生」→「住」→「異」→「滅」の流れがあります。
仏教では「諸行無常」と教えられています。
平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますから、聞いたことのある方も多いと思います。
「諸行無常」とは、「諸行」=すべてのもの、「無常」=続かない、ということで、どんなものも続かない、やがては必ず無くなっていくということです。
どれだけ大事にしている物でも、いつまでもあるわけではなく、物ならばやがては壊れてしまいます。どんなに大切な人とも、永遠に一緒にいることはできません。
「生相」とは、因と縁が合わさって生じた状態
「住相」とは、その状態でとどまっている状態
「異相」とは、変化する状態
「滅相」とは、消滅した状態
世界を明るく照らす太陽も、約46億年前に生まれ、今は明るく輝いていますが、だんだんと変化していき、109億年後には光を失うと言われています。
私たちも生まれた時があり、生きている内に少しずつ変化し、やがて死ぬ時がやってきます。
一期(いちご)の四相も教えられています。
一期とは人間の一生のこと。人間の一生を四相でいうと、「生」「老」「病」「死」と教えているのです。
ですから「滅相」は死ぬことでもあります。
「滅相もない」と「とんでもない」
「滅相」は人間の一生でいえば「死」です。
私たちは、元気な時は、死を忘れています。いつ死んでもよいと口で言っている人もあります。
しかし、本心では、誰もが死にたくないと思っています。
「新型コロナウイルスが怖い」というのは感染した場合に死亡する可能性が高いからです。
感染者数で言えば、ふつうの風邪のほうが多いでしょうが、ただの風邪ウイルスに感染しても死ぬことは稀ですから怖がられることはありません。
「新型コロナウイルスが怖い」とは「死が怖い」のであり、死にたくない本心の吐露なのです。
それだけ忌み嫌っている死は、私たちにとっては、あってはならないこと、とんでもないものであるので、死を表す「滅相」は「とんでもない」という意味で使われるようになり、さらに滅相などころではない、「滅相もない」という言葉になりました。
それで、今日では「とんでもない」と言う時に、目上の方には「滅相もない」と言うようになったのです。
仏教で教えられる諸行無常について、こちらの記事で解説しています。
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