鰯(いわし)の頭も信心から|あなたは何を信じていますか?
1月30日にテレビ朝日系列で毎週平日放送中の「グッドモーニング」の中の「ことば検定」で林修先生が「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉について解説していました。
(問題)「鰯の頭も信心から」の由来は?
1、節分
2、京都の寺
3、バス通り裏
答えは、1の「節分」です。
「鰯の頭も信心から」とは「イワシの頭のようなつまらないものでも、信じている人からすれば非常に価値のあるもの。」ということで、信仰心の不思議さを表すことにも使われますが、一般的にはおかしなものを頑固に信じる人を揶揄するときにも使われる言葉です。
それと節分とどう関係あるかと言いますと、江戸時代以降に節分のときには焼いたイワシの頭を柊(ひいらぎ)の小枝を刺して、戸口に立てる風習が生まれました。
これは鬼をイワシの頭の臭いと柊のトゲで追い払うために生まれたのですが、ここからつまらないものの代表としてイワシの頭が使われて、「鰯の頭も信心から」の言葉が生まれました。
「あの人は信心している」「信心深い人だ」と言われる時は、何か特定の神や仏を信じていることをいいます。
現代の日本人の多くは無宗教なので、自分と信心は関係ないと思っている人は少なくありません。「私は無信心だ」という人もあります。
「鰯の頭も信心から」と言われるように、「信心」とは決して神や仏を信じるだけのことではありません。
「信心」とは心で何かを信じること
私たちは日々、さまざまなものを信じ、心の支えにして生きています。
信心とは、「心」で何かを「信」ずるということですから、何かを信じていれば、それはその人の信心といえます。
「信ずる」とは言葉を換えれば「たよりにする」「あて力にする」ことです。
「これを食べれば健康でいられる」と信じて健康食品を求めたり、「これだけあれば何かあっても安心した日々が過ごせる」と信じて財産や金銭を求めたり、「人から称賛されれば幸せになれる」と信じて名誉や社会的地位などを求めたりしています。健康食品や財産や地位を信じていると言えます。
私たちは何かを信じ、たよりにしなければ生きられないので、すべての人は何かの信心をもっているといえます。そういう意味で無信心の人はいないのです。「生きる」とは、まさに「信ずる」ことなのです。
「自分は何も信じない」「だれも信用していない」という人も、そんな「信念」を持って生きている、自分を「信じている」のです。
私たちは、信じていたものに裏切られた時に、苦しみ悩みます。
しかも、深く信じていればいるほど、裏切られた時の悲しみや怒りは大きくなります。
家庭の悲劇は、信じていた家族に裏切られたから。
いつまでも元気でいると思っていた親が病に倒れ「昨日まで元気だったのに…」と悲しんだり、信じていた我が子に老人ホームに入れられて「まさか我が子にこんなことをされるとは」と嘆くのは「親はずっと元気でいる」「子供は自分の面倒を見てくれる」と深く信じていたからです。
病で苦しむのは健康に裏切られたから、財産を失って苦しむのは財産に裏切られたから、リストラで苦しむのは会社に裏切られたから。
あまり信用していないものに裏切られてもさほど苦しむことはありませんが、深く信じていればいるほど、裏切られた時の苦悩や悲しみ、怒りは大きくなるのです。
私たちはそんな目にあいたくありませんから、大事なものに裏切られないように、気をつけて、生きています。
では、私たちが信じているものは最後まで裏切ることはないでしょうか。私を絶対に裏切らないもの、そのようなものは、果たしてこの世にあるのでしょうか。
火宅無常の世界
鎌倉時代に書かれた「歎異抄」という仏教の古典にはこのように書かれています。
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし」(歎異抄)
〝火のついた家のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない〟
私たちが信じているものは、いつ無くなるか、裏切るか分からないものです。
たとえ70年、80年信じられるものがあったとしても、私たちは最後、死なねばなりません。
いよいよ死ぬ時には、家族や友人、貯金や財産、社会的地位などそれまでずっと信じてきたものにも見放され、最も大事なこの肉体さえも焼いていかねばなりません。
いつ何が起きるか分からない無常の世界に住んでいるから、何を得ても、人生は火のついた家のように不安になるのだよと言われています。
私たちは毎日、幸福を得るために並々ならぬ苦労をしていますが、その苦労が真に生かされる道はあるのでしょうか。
仏教では「私たちを裏切るものを信じていては幸せになれませんよ。絶対に裏切られることのない、正しい信心を持ちなさいよ」と教えられます。
その正しい信心について下の記事で解説しています。
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