往生は誤解された言葉|仏教に教えられる本来の意味とは?
『病院で念仏を唱えないでください』という異色の医療ドラマがあります。
救急救命医でありながら、僧侶でもある主人公の姿を描いた作品です。
先日の放送回のタイトルは、「大往生の前で」。
「大往生」といえば、かつて永六輔さんのエッセイのタイトルにもなった言葉ですが、一般的にもよく聞きますよね。
辞書を見ると、「少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、立派な死に方であること」と書かれています。
「往生」はそもそも仏教の言葉ですが、本来はどんな意味があるのでしょうか?
「往生」の本来の意味は?
一般的に「往生」と聞くと、人が亡くなることだと思っている人が多いようです。
また、「道が渋滞して往生した」というように、困ったという意味にも使われたりしますね。
しかし、仏教で言われる往生には、そのような意味はまったくないのです。
往生という字を改めて見てみると、「往って生まれる」と書きますから、死ぬとか、困るという意味はどこにも見られません。
仏教で「往生」とは、文字通り、往って生まれることを言われるのです。
では往生とは、どこに往って、どのように生まれることを言うのでしょうか?
阿弥陀仏の極楽浄土へ往く
親鸞聖人は、「阿弥陀仏の極楽浄土に往って、仏に生まれる」ことを往生と言われています。
釈迦如来や薬師如来、大日如来など、たくさんおられる仏さまの中でも「本師本仏(ほんしほんぶつ)」が阿弥陀仏です。
本師も本仏も先生ということなので、数多くおられる仏さまの師匠であり、先生が阿弥陀仏なのです。
阿弥陀仏について詳しくお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
浄土とは、仏さまの世界のことですが、その中でも極めて楽しい阿弥陀仏の浄土のことを極楽浄土と言われます。
極楽浄土とは、どんな世界なのか、こちらの記事で解説しています。
極楽浄土へ往くことができる人とは?
本師本仏である阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことが往生ですが、一般的に、死んだら誰でも極楽に往くことができると思われているのではないでしょうか。
実は、それは大きな誤解なのです。
親鸞聖人は、生きている今阿弥陀仏に救われて絶対の幸福になった人だけが、死んで極楽浄土へ往くことができるのだと教えられました。
阿弥陀仏に救われるとはどういうことか、親鸞聖人は主著『教行信証』の冒頭に次のように書かれています。
「難思の弘誓(なんしのぐぜい)は難度の海(なんどのうみ)を度(ど)する大船」
(『教行信証』)
今大船に乗ることが大事
難度海とは、苦しみ悩みの波が押し寄せる私たちの人生のことです。
阿弥陀仏は、その難度海で溺れて苦しむ私たちを、大きな船に乗せて助けるとお約束されています。
生きている今、大船に乗せていただくことが、絶対の幸福になるということなのです。
阿弥陀仏の作られた船は極楽に向かう船ですから、今大船に乗ることができれば、極楽に往くことがはっきりします。
これを蓮如上人は「往生一定(おうじょういちじょう)」と言われました。
往生一定については、こちらの記事で解説しています。
どうすれば大船に乗れるのか
では、どうすれば阿弥陀仏の大きな船に乗せていただくことができるのでしょうか。
それには聴聞が大事であると、蓮如上人は次のように言われています。
「ただ、仏法は聴聞に極まることなり」
(御一代記聞書)
2600年前にお釈迦さまが仏教を説かれた目的は、私たちを阿弥陀仏の大きな船に乗せることにありました。
その仏教を聞けば、必ず大船に乗せていただけるときがくるのです。
仏教を聴聞する目的について、蓮如上人の漫画で学ぶことができます。
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