親鸞聖人最期のお言葉「御臨末の御書」
御臨末の御書は、親鸞聖人のご遺言です。
我が歳きわまりて、
安養浄土(あんにょうじょうど)に還帰(げんき)すというとも、
和歌の浦曲(わかのうらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも法(のり)は尽きまじ和歌の浦
あおくさ人のあらんかぎりは
(御臨末の御書)
「我が歳きわまりて」とは、親鸞いよいよこの世の命尽きたということです。
死んだらどうなるのか。
多くの人が、死んでみないとわからないという中、
親鸞聖人は、一息切れれば「安養浄土に還帰す」と仰っています。
安養浄土とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことです。親鸞、死んだら、阿弥陀仏の極楽浄土へ往くとハッキリ言われています。これを「往生一定(おうじょういちじょう)」といいます。
往生一定とは
往生とは、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、仏に生まれることをいいます。一定とは、一つに定まるということで、ハッキリするということです。いつ死んでも阿弥陀仏の極楽浄土へ往って仏に生まれることがハッキリしたことを往生一定といいます。いつ死がやってきても崩れない幸せなので、絶対の幸福ともいわれます。
親鸞聖人は、29歳の時、往生一定の身、絶対の幸福になられて、身を粉に、骨を砕きてもと、絶対の幸福になる道を教えられた仏法一つを伝えられました。
35歳で越後(新潟県)へ流刑となられた親鸞聖人は、配所の地でも尽力なされました。
5年後、京の都へ歩みを進められる親鸞聖人に、恩師・法然上人ご逝去の知らせが届きます。悲しみに沈む親鸞聖人でありましたが、関東布教を決意。やがて関東は法の華咲く地となっていきました。
親鸞聖人が関東に打ち込まれた真実の杭は、人々の心深く入っていきました。仏法を嫌う日野左衛門(ひのざえもん)を救済せんと、石を枕に雪を褥(しとね)に、家の門前で休まれたことは、有名です。また、親鸞聖人を不倶戴天の敵と憎む山伏・弁円(べんねん)が、白昼、剣をかざして襲ってきた時も「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」、友よ、兄弟よと諭されました。お徳に打たれた弁円が、お弟子の明法房(みょうほうぼう)となったことも、今なお語り継がれています。
絶対の幸福に救い摂られた喜びは、どれだけご恩返しに励んでも、相済み、終わったということはない。どんなことがあっても、仏法を伝えずにおれない。ご恩返しは、真実の仏法を一人でも多くに伝え、人々を絶対の幸福に導くことと知らされた親鸞聖人は、生涯、仏法を伝えること一つに生き抜かれたのです。
しかし、まだ足らぬ、相済まぬと、90歳でお亡くなりになる時も、
「極楽でのんびりなどしておれない。寄せては返す波のように、親鸞、すぐに戻ってくる。だから一人いる時は二人、二人の時は三人だと思いなさい。うれしい時も、悲しい時も、親鸞がいつもそばにいるからね」
と呼びかけられているのです。
未来に生きる永遠の青年
「未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人」といわれます。たとえ肉体は70才80才であっても、素晴らしい未来に燃える人は、青年だといえましょう。
無窮の波動のように、限りなき衆生救済の未来に生きられた親鸞聖人は、永遠の青年でありました。
(終わり)
親鸞聖人はどんな方なのか。
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