わずか9歳で出家された親鸞聖人|幼くして両親と死別し天涯孤独となる
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、今から約800年前、京都にお生まれになりました。
お父さまは藤原有範(ありのり)、お母さまは吉光御前(きっこうごぜん)と言われ、貴族藤原家の生まれです。幼名は松若丸といいます。
貴族の家に生まれられた親鸞聖人でしたが、わずか9歳で出家されました。
一体どのような経緯があったのでしょうか。
父母を亡くされる
親鸞聖人は4歳のときにお父さま、8歳のときにお母さまを亡くされました。
幼くして天涯孤独の身になられ、どれほど寂しい思いをされたかわかりません。
お父さま、お母さまが亡くなり、次に死ぬのは自分の番だと思われた親鸞聖人は、「死んだら一体、どうなるのだろうか」とやがて自分にも襲ってくる無常に悩まれるようになります。
そして9歳のとき、叔父・藤原範綱(のりつな)に手を引かれ、京都・東山の青蓮院(しょうれんいん)を訪ねられました。
青蓮院は比叡山の座主(ざす)を務める慈鎮(じちん)和尚の寺でした。
親鸞聖人は、
「次は、私が死んでいかなければならないと思うと不安なんです。何としてもここ一つ、明らかになりたいのです」
と、比叡山の仏教に不安な心の解決を求めたのです。
比叡山に入るには、出家得度を受けねばなりませんでした。
出家得度とは、この世のすべてを捨て、仏道に入り、僧侶になるための儀式です。
父母を亡くして無常に驚かれた親鸞聖人は、幼いながらも出家を願われました。
慈鎮和尚は「わずか9歳で出家を志すとは尊いことじゃ」と驚き、「では明日、得度の式をあげよう」と言われます。
しかし、聖人は紙と筆を持たれて、一首の歌を書かれました。
明日ありと 思う心の あだ桜
明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは
「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は桜の花よりもはかなきものと聞いております。
明日といわず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
みな、明日があると信じて生きています。
しかし今日交通事故で亡くなった人には明日という日はありませんでした。
親鸞聖人は「突然世を去った父母のように、明日があると信じていても裏切られるときがくるんだ」と言われています。
9歳でこのような歌を書かれたのは驚きです。
受け取った慈鎮和尚は背を寒くしたようにその歌に打たれました。
「そこまでそなたは、無常を感じておられるのか……。分かった。じゃあ早速、得度の式をあげよう」
かくて、その夜のうちに得度の式を終え、聖人の髪はきれいに剃り落とされました。
それは同時に、天台宗比叡山での、20年間に及ぶ、血のにじむご修行のスタートでもあったのです。
続き
この親鸞聖人の御歌は私にとって、大切な気づきを与えてくれます。
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