menu

今なら500円⇒0円!
無料見本誌プレゼント!

1から分かる親鸞聖人と浄土真宗

ホーム

このサイトに
ついて

サイトマップ

無料プレゼント

親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。 初めて学ぶ方も、イラスト入りの解説で分かりやすく学ぶことができます。

『歎異抄』が好き!日本人の心をガッチリつかむその理由は?

このエントリーをはてなブックマークに追加
カテゴリー:なるほど親鸞聖人 タグ:
 

a57181effebf4bf61c5d98912e481920_s

2018年の大学入試センター試験に、こんな問題文がありました。

親鸞は、煩悩に向き合い悪人の自覚を深めるなかで、絶対他力の信仰を獲得し、その布教に努めた。救済は仏の力によるほかないと考えた彼は、『親鸞は弟子一人ももたず』と語った。

この「親鸞は弟子一人ももたず」という一文は、有名な古典『歎異抄』の一節です。
親鸞聖人のお言葉を伝え、日本人の思想に大きく影響を与え続けるこの書物には、私たちにとって非常に大事なことが説かれています。
それは何でしょうか。

目次

  • なぜ『歎異抄』なの?
  • 心に残る名文の数々
  • 誤読の危険をはらむカミソリ聖教
  • 「なぜ生きる」を明示された第1章

なぜ『歎異抄』なの?

2017年の秋、NHKの『100分de名著』で、『歎異抄』がアンコール再放送され大きな反響を呼びました。
番組のホームページには、なぜ『歎異抄』を取り上げたのか、制作者がその動機をつづっています。

ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ、拡大し続ける格差社会……なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、『歎異抄』を現代的な視点から読み直しながら、(略)『人間はどう生きていけばよいのか』という根源的なテーマを考えていきます。

東日本大震災のように、一瞬で多くの人生を転換させた災害や、世界で多発するテロなどをきっかけに“生きる意味”を問う声が多く聞こえてきます。
番組では、『歎異抄』にその答えを求め、進行していました。
鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の肉声を伝えるこの書物には、私たちが、本当の幸せに生きる道が記されているからでしょう。

日本を代表する哲学者・西田幾多郎は空襲を目の当たりにして、「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったと伝えられています。

ベストセラー『声に出して読みたい日本語』シリーズの著者・齋藤孝さんは、このように書いています。

『歎異抄』を声に出して読むと、親鸞が生の声で自分に語ってくれているという感触が伝わってきます。
この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことができなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては非常に大きな損失であったでしょう。

「金八先生」で知られる俳優・武田鉄矢さんが、2006年にTBS系列で放映されたドラマ・『白夜行』に出演した際、“この物語の悲劇のヒロインを救いうる宗教は世界にたった一つ、親鸞の浄土真宗だけだ”と感じ、自らの発案で、自身が演じる刑事のセリフに『歎異抄』の一節をちりばめ、大きな話題となりました。

【『白夜行』のあらすじ】
西本雪穂と桐原亮司はともに11歳。ふとした出会いから互いに恋心を抱くが、彼らの家庭には問題が。亮司は母の浮気に心痛め、雪穂は母によって売春をさせられていた。しかもあろうことか、雪穂の売春の相手が、自分の父親と知った亮司は、思わず父を殺害してしまう。その亮司の罪を自分の母親に被せるため、雪穂も親殺しに手を染める。互いの罪を隠すため、さらなるウソと罪を重ねながら成長する2人の悲劇を描いている。

 

心に残る名文の数々

では実際に、『歎異抄』の文章に触れてみましょう。
次の一節は、皆さんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
しかるを世の人つねにいわく、『悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや』
(第3章)

日本の思想上、最も有名で、衝撃的な文章でしょう。
歴史や倫理の教科書にもよく紹介されています。
この教導は「悪人正機」といわれますが、これに触発されてか、日本文学に造詣の深いロシアの有名作家ボリス・アクーニン氏の名前(ペンネーム)の由来は、日本語の「悪人」だといいます。

テレビ朝日の人気ドラマ『相棒』の300回記念スペシャルが2018年1月、前・後編の拡大版として放映されました。そのサブタイトルは「いわんや悪人をや」。この言葉は『歎異抄』第3章冒頭の一節です。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり、されば若干の業をもちける身にてありけるを、助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
(後序)

 

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(後序)

など、心に残る名文は枚挙にいとまありません。

誤読の危険をはらむカミソリ聖教

ところが、この『歎異抄』を室町時代の蓮如上人(れんにょしょうにん)は、自ら書写され、最後にこのような奥書(写本の最末尾に記した文章)を付けられました。

右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからざるものなり。釈蓮如
(意訳)
この『歎異抄』は、浄土真宗の大事な聖教である。仏縁浅き人には、誰彼となく拝読させてはならぬものである。釈蓮如

なぜ蓮如上人はこう書かれたのでしょう。
それは、第3章をはじめとして、『歎異抄』が非常に誤解されやすい書物であるからです。
俗に「カミソリ聖教」ともいわれています。
カミソリは、大人が使えば重宝でも、幼児が使えば危険な道具になるように、『歎異抄』には他力信心の極致が表現されているので、仏縁深い人が読めば、くめども尽きぬ法悦が味わえますが、親鸞聖人の教えをよく知らぬ人は、誤読の危険性が大きいから読ませないほうがいいと配慮され、封印されたのです。

それほど誤解しやすい『歎異抄』ですが、明治時代にある機縁で広く読まれるようになり、今に至ります。
全18章からなる『歎異抄』の1~10章までは親鸞聖人のお言葉を記し、11~18章は、親鸞聖人亡きあと、親鸞聖人の仰せと異なることを“これが親鸞聖人の教え”と言い触らす者を嘆いて、その誤りを正しています。
親鸞聖人の異説を嘆いた書という意味で『歎異抄』と名づけられたのです。
18章の中でも、とりわけ第1章は、『歎異抄』全章が収まる最も重要な章。
今回は、その第1章冒頭に教えられていることを解説したいと思います。

「なぜ生きる」を明示された第1章

『弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり』と信じて『念仏申さん』と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。(第1章)

この一節には、すべての人の「生きる目的」が示されているのです。それを親鸞聖人は「摂取不捨の利益」と仰っています。
「摂取不捨の利益」の「摂取不捨」とは、「摂め取って捨てぬ」ことであり、「利益」とは「幸福」のことです。
「ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福」を、「摂取不捨の利益」といわれます。「絶対の幸福」といってもいいでしょう。

摂取不捨の絶対の幸福

「生きる」ことは「幸せ探しの旅」ともいえましょう。
私たちは、日々、幸せと思うものを追い求めています。
手に入れば喜びますが、同時にそれは「会うは別れの始め」で、やがて離れていくものばかりではないでしょうか。
衣食住が充実すれば安心し、幸福に生きられると信じ、努力してきました。
昔と比べると十分な食糧、衣服、住まいを手に入れ、確かに快適なのですが、なぜか心は満たされず、豊かになるほどに精神の病が増えると、ある映画で語られています。
その鬱積が犯罪へ発展し、耳目を覆いたくなるニュースが頻発しています。
時に「生きててよかった」と思うことがあっても、悲しいかな続きません。

オリンピックでメダルを獲得するため、多くの選手が日々、心身ともにつらい訓練を重ねています。
身体能力の高い選手たちは、金メダルという山頂を目指します。
頂点で見えるのは絶景ですが、しかしそこは崖っぷちでもあるでしょう。
体操競技でロンドン、リオ五輪の金メダリスト内村航平選手は2017年、全日本体操競技個人総合選手権大会で、大会10連覇を達成し、
「また勝ってしまった。期待に応え続けなければならない。いやあ地獄ですよ」
と正直に語っています。
誰もがそれぞれの山を目指して登りますが、たどり着いた頂点に永くとどまることはできません。
また新たな山を目指して登り始める、その繰り返しです。
「人生はジェットコースター」と言った人もいる。
登りは時間がかかるが登り切った頂上で一時止まったら、後は一気に急降下。
上り下りを繰り返し、笑ったり、叫んだり、泣いたりしてやがてスタート地点におとなしく戻ってくるのです。

芥川龍之介は「人生は地獄よりも地獄的」と言っています。
一切が無常の世ですから、どんなに堅固そうな幸せも続いてはくれません。
さればといって、やがて捨てられると分かっても、求めずしては生きられないのが私たち。
浮きつ沈みつしながら、やがて自分の体も動かせなくなる最後が迫ってきます。

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は、こう教誨されています。

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。(御文章)
(意訳)
何が思うようにならずとも妻子がいれば、財産さえあれば安心だと、日頃、あて力にしている妻子も財宝も、臨終には何一つ頼りになるものはない。一切から見捨てられ、独り行く死出の旅路は丸裸、一体どこへゆくのだろう。

夏目漱石は、
「人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない」
と言いました。何を求めれば人は本当の幸せになれるのか。

死を目の前にしても変わらぬ「摂取不捨の利益」こそが人生懸けて求めるべき真の幸福であり、その厳存を親鸞聖人はこう宣言されています。

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法(親鸞聖人の主著・教行信証)
(意訳)
まことだった、まことだった!摂取不捨の幸せ、本当だった!弥陀の真言ウソではなかった!

深い心の闇より救われて、苦悩多き人生が、そのまま絶対の幸福に転じた親鸞聖人の、驚きとよろこびの肉声が聞こえてくるようです。
すべての人は、親鸞聖人と同じくこの摂取不捨の利益(絶対の幸福)に救われて初めて
「人間に生まれてよかった、この身になるための人生だったのか」
と踊躍歓喜させられるのです。

 

お釈迦さまが説かれた絶対の幸福|底抜けに明るい心の長者になれる

 
 
 
book_banner   映画なぜ生きる   幸せを呼ぶ言葉の宝石ベスト100登録へ
 

記事一覧

お釈迦様物語
親鸞聖人のご生涯