「女性は土俵から下りてください」女人禁制に疑問をもたれた親鸞聖人
2018年4月4日午後、京都・舞鶴市で行われた大相撲の春巡業で、多々見良三市長が土俵上で突然、倒れます。
騒然とする空気の中、相撲協会の関係者とともに、観客の看護師資格を持つ女性が即座に土俵に上がり、必死に心臓マッサージを施しました。
その際に流れたアナウンスが大きな問題になりました。
「女性は土俵から下りてください」
どうしてこのようなアナウンスが流れたのでしょうか。
相撲界では、土俵は古くから“女人禁制”といわれ、女性が入ることを禁じているからです。
今回は、女人禁制と親鸞聖人(しんらんしょうにん)について、説明したいと思います。
「女性は土俵から下りてください」
土俵に上がった女性は、関係者に「上がっていいか?」と確認も取ったそうですが、別の場所で、ある観客に「女性が上がっていいのか?」と言われた行司が動転して、アナウンスを流してしまったようです。
ネット上では、「人命救助が第一なのに何言ってるんだ!」「人の命と伝統どっちが大事なんだ?」「女性差別でしかない」などの非難が起きました。
4月5日には、相撲協会が正式に謝罪文を発表。
「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」と陳謝しました。
その後も、ネット上では「相撲の伝統はおかしい」などの批判は続きました。
相撲界の伝統では、土俵は“女人禁制”といわれ、女性が入ることを禁じています。
女人禁制とは
女人禁制とは「にょにんきんせい」とも「にょにんきんぜい」とも読みます。
意味は、女性が、霊場や神聖な場所などに入ることを禁ずることをいいます。
相撲界では、土俵は神聖な場所として「土俵は女人禁制」が伝統となっています。
どうして女性が神聖な場所に入ることを禁じるのでしょうか。
昔の日本では、女性は汚れている、罪深きものと思われていたためです。
どうして女性は汚れている、罪深いものなのか
どうして昔の日本では、女性は汚れている、罪深いものと思われるようになったのでしょうか。
いろいろな説がありますが、仏教の面から説明したいと思います。
比叡山の天台宗、高野山の真言宗では、私たちの苦しみの元は煩悩と教えられています。
煩悩とは私たちを煩わせ悩ませるもので、1人に108あります。除夜の鐘を108回つくのは、煩悩の数からきています。
108の煩悩の中で特に私たちを煩わせ悩ませるものが3つあります。欲の心、怒りの心、恨み妬みの愚痴の心です。
これらの煩悩が苦しみの元だから、煩悩を断つ為に、人里離れた山にこもり、難行苦行に打ち込みます。
その為、男性の僧侶や仏道修行者に対して、「大蛇を見るとも、女人を見るな」「火柱だいても、女人はだくな」「女人は地獄からの使いなり」と説かれています。
これらの人の仏道修行を、女性のために迷わせぬために、特に女性の欠点をピックアップして注意を喚起されているのです。
また、五障(ごしょう)といって、女人は、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)なるが故に、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)、魔王(まおう)、転輪聖王(てんりんじょうおう)、及び仏身(ぶっしん)には、なれぬとあります。
梵天、帝釈、魔王、転輪聖王とは、仏教を守護するものとして説かれています。
このような内容が、世の中に広まっていく中で、女性は汚れている、罪深いものと思われるようになりました。
比叡山・高野山
比叡山・高野山は、女人禁制で、女性は立ち入りを禁じられていました。
また、比叡山・高野山の僧侶には、肉食妻帯(にくじきさいたい)してはならぬという戒律がありました。肉を食べたり、結婚することは禁じられていたのです。
そのように聞かれますと、女性の方で「私は比叡山に行ったことがあります」「私も高野山に行ったことがあります」と言われる方があると思います。
関西にお住まいの方でしたら、観光ポスターを目にされると思います。
霊山や寺社における女人禁制は明治5年に解除されました。
今日では、一部を残すだけで、比叡山・高野山も、女人禁制ではありません。
「土俵は女人禁制」は相撲界の伝統ですが、「人命尊重」「性差別問題」から、その伝統を守ることにどんな意味があるのか、考えてみる必要があるのかもしれません。
女人禁制と親鸞聖人
女人禁制に疑問
親鸞聖人は今から約800年前、鎌倉時代の方で、9歳から29歳までの20年間、女人禁制の比叡山で修行しておられます。
実は、800年前に、すでに女人禁制に疑問を抱いておられました。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』第1巻に描かれているところがありますので、紹介します。
女性とのやりとりです。
女性→女 親鸞聖人→親と表記します。女「親鸞さま、親鸞さま」
親「私を呼ばれたのは、そなたですか?」
女「はい。私でございます。親鸞さまに、ぜひお願いがあって……。どうか、お許しください」
親「この私に、頼み?」
女「はい、親鸞さま。今からどこへ行かれるのでしょうか」
親「修行のために、山へ帰るところです」
女「それならば親鸞さま。私には、深い悩みがございます。どうか、山にお連れください。この悩みを、何とかしとうございます」
親「それは無理です。あなたもご存じの通り、このお山は伝教大師が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」
女「親鸞さま。親鸞さままでそんな悲しいことを仰有るのですか。伝教大師ほどの方が、涅槃経を読まれたことがなかったのでしょうか」
親「え?涅槃経?」
女「はい。涅槃経の中には、『山川草木 悉有仏性』と、説かれていると聞いております。すべての者に仏性が有ると、お釈迦さまは仰有っているではありませんか。それなのに、このお山の仏教は、なぜ女を差別するのでしょうか」
女「親鸞さま。女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど余計、憐れみたまうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は、女を見捨てられるのでしょうか」
女「親鸞さま。このお山には、鳥や獣のメスはいないのでしょうか」
親「そ、それは……」
女「汚れたメスが入ると、山が汚れると言われるならば、すでに鳥や獣のメスで、この山は汚れています。鳥や獣のメスがいる山へ、なぜ人間のメスだけが、入ってはならないのでしょうか」
女「親鸞さま。お願いでございます。どうか、いつの日かすべての人の救われる、真実の仏教を明らかにしてくださいませ。親鸞さま、お願いでございます」
この女性とのやりとりから、親鸞聖人は比叡山の女人禁制に疑問を抱かれるようになりました。
老若、男女、貧富、美醜など一切の差別はない
親鸞聖人は29歳の時に、比叡山を下りられ、男女差別なく、すべての人が本当の幸せになれる仏教を、法然上人(ほうねんしょうにん)から聞かれます。
31才の時には、僧侶として初めて公然と肉食妻帯を断行されました。
それまで隠れて肉食妻帯をしている僧侶は少なくありませんでしたが、公然となされたのは親鸞聖人が初めてです。
公然と肉食妻帯すれば、堕落坊主、破戒僧と罵詈讒謗を受けられるのは、わかっておられました。
それでも八方総攻撃を受けながら断行されたのは、男女平等に救われる真実の仏教、阿弥陀仏の本願があることを、一人でも多くの人に知ってもらいたいという御心でありました。
真実の仏教は、老若、男女、貧富、美醜、善人・悪人、才能の有無、健常者・障害者など、一切の差別はなく、すべての人が本当の幸せになれる道を教えられているのです。
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