他力本願と石山合戦|石山本願寺を護った浄土真宗の門徒達
かつては電化製品系製造業の中で日本有数の大企業だった東芝が昨今経営難に陥っています。
その東芝の経営再建について話題になっていますが、この経営再建に対して東芝の経営陣のが発言した、
「全部他力本願。東芝が主体的に決定できることがない」
東芝再建に政府が支援、半導体の高値売却の足かせに 経営幹部も自虐|SankeiBiz
という言葉に違和感を感じました。
万策尽きた、という意味での発言なのでしょうか。
『他力本願』と聞くと、「他人依存」や「弱い人間」といった言葉を思い浮かべる人もあるかもしれません。
他力本願の語源は仏教にありますが、本来は全く別の意味だったのです。
他力本願の正しい意味とは
「他力本願」の誤解と、本当の意味とは?のページでは、次のように解説しています。
では、仏教で他力とはどんな意味なのでしょうか。親鸞聖人はこう書かれています。
「他力」と言うは如来の本願力なり。(教行信証)
如来とは、ここでは、阿弥陀如来のことです。如来の本願力とは、阿弥陀如来の本願力のことで、
これを他力とも、他力本願ともいいます。他力 = 阿弥陀如来の本願力
それが今日では他人に依存することを他力本願といわれるようになりました。
他力本願とは阿弥陀如来の本願力のことで、本来は他人依存や弱い人間と言った意味はなかったのです。
しかしここで、他力本願が仏教から出た言葉と聞いて、「仏教 = 宗教 = 依存」と連想する人もあるかもしれません。
また、「仏教を聞くのは心の弱い人間のすること」と思う人もあるかもしれません。
どんな人々が仏法を聞いていたのか、その足跡を辿るエピソードを紹介したいと思います。
本願寺と織田信長との戦い「石山合戦」
戦国時代、時の豪傑・織田信長と浄土真宗・石山本願寺との全面衝突がありました。世にいう石山合戦です。
織田信長は石山本願寺を包囲・攻撃。その織田氏の攻撃に対して、石山本願寺を護る浄土真宗の門徒軍は十年以上も籠城し耐え抜いたと言われています。
門徒の多くは浪人や町人、農民の寄せ集めでしたが、織田信長率いる戦国武将相手に一歩も引くことはありませんでした。
この攻防について歴史家・頼山陽は「抜き難し、南無六字の城」と驚嘆しています。
このエピソードからでも、当時の浄土真宗の門徒が他人依存や心の弱い人間の集まりではなかったことは想像に難くないと思います。
彼ら浄土真宗の門徒は、親鸞聖人の御教えを聞き、人生の目的を知らされたからこそ、信念を持って苦難困難も乗り越えていったのだと思います。
まとめ
「この目的一つ果たすために生まれてきた」と人生の目的が知らされたならば、たとえ相手が織田信長であろうとも、物の数ではないのだと先人たちが身を持って教えたのが石山合戦であったのです。
(参考)
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