親鸞聖人の「肉食妻帯の断行」は炎上マーケティングだった
お坊さんは肉を食べてもいけないし、結婚してもいけない。
それが正しい僧侶の姿だと思う方は多いでしょう。
しかし浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、公然と肉食妻帯をされました。
現代の日本では大した問題ではないですが、親鸞聖人が活躍された800年前は世間を揺るがす大問題でした。
なぜ親鸞聖人は、わざわざ問題になることがわかっていながら肉食妻帯をされたのでしょうか。
実はそうやって問題を起こし、世間の注目になることで正しい教えを明らかにする。今でいう炎上マーケティングをするためだったのです。
親鸞聖人は僧侶として公然と肉食妻帯された最初の方だった
親鸞聖人といえば肉食妻帯(にくじきさいたい)と言われるぐらい、親鸞聖人と肉食妻帯は関係が深いです。
それは、親鸞聖人が僧侶として公然と肉食妻帯された、最初の方だからです。
肉食妻帯とは、殺した生き物を食べ、妻を持ち女性と一緒に生活することです。
親鸞聖人は鎌倉時代の方なので、肉食と言っても食べたのは牛や豚ではなく主には魚です。
今日僧侶であっても、肉食妻帯している人は多いように思いますので、それほど珍しいことのように思えませんが、親鸞聖人がなぜ最初の方だったのでしょうか。
親鸞聖人の師匠は法然上人と言いますが、法然上人、親鸞聖人が現れるまでは、日本の仏教といえば、聖道仏教(しょうどうぶっきょう)しかありませんでした。
聖道仏教とは、宗派でいうと、天台宗、真言宗、禅宗などです。
聖道仏教とまとめられるのは、共通しているところがあるからです。
それは、欲や怒りや愚痴などの煩悩を抑えて修行に励み自分の努力精進で悟りを得よう、幸せになろうとするところが共通しています。
煩悩とは私たちを煩わせ、悩ませるもので、1人に108あります。
除夜の鐘の数はここからきていますが、108の煩悩の中でも特に強いのが欲です。
仏教では五欲といって、五つの欲を紹介しています。
食 欲(しょくよく)
財 欲(ざいよく)
色 欲(しきよく)
名誉欲(めいよよく)
睡眠欲(すいみんよく)
煩悩を抑えて修行に励みますから、これらの欲を思いっきり満たすことは禁じられていました。
それで、聖道仏教の修行をする僧侶は、これはやってはいけない、あれはやってはいけないと禁じられた戒律というものがありました。
その戒律の中に、肉を食べてはならない(肉食)、女性に接してはならない(妻帯)がありましたので、当時、僧侶といえば、肉食妻帯していない人だったのです。
なぜ親鸞聖人は公然と肉食妻帯されたのか?
親鸞聖人が肉食妻帯されたのは、自分の心に正直に生きられたから、という人もあります。
9歳から29歳までの20年間、比叡山で天台宗のご修行に打ち込まれていましたので、そのように思う人もあるかもしれません。
しかし、もしそれが理由であれば、公然とされる必要はありませんでした。
親鸞聖人は、公然と肉食妻帯された最初の方であって、ひそかに肉食妻帯している僧侶はすでに少なからずいました。
親鸞聖人は公然と肉食妻帯されることで、多くの人たちから「肉食妻帯の堕落坊主」「戒律を破った破戒坊主」「色坊主」「仏教を破壊する悪魔」など、聞くに堪えない悪口を浴びせられました。
当時、僧侶は肉食妻帯しないのが常識だったからです。
ひそかにやっているならまだしも、公然と宣言するとは何事だと、非難攻撃の的となられたのです。
親鸞聖人は公然と肉食妻帯すれば非難攻撃を受けることは、当然わかっておられました。
それを覚悟の上で、公然とされたのです。
その覚悟を感じ取った夏目漱石は、このように評価しています。
「親鸞聖人に初めから非常な思想が有り、非常な力が有り、
非常な強い根底の有る思想を持たなければ、あれ程の大改革は出来ない」
「非常な強い根底の有る思想」とは何か
それは、阿弥陀仏の本願を伝えることでした。
親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願一つを伝えることを使命としておられました。
聖道仏教では肉食妻帯が禁じられていましたので、僧侶と一般の人には差別がありました。
しかし、阿弥陀仏の本願には、そのような差別は一切ありません。
歎異抄(たんにしょう)という本には、このように書かれています。
弥陀の本願には、老少善悪の人をえらばず(歎異抄)
(意訳) 阿弥陀仏の本願には、老いも若きも、善人も悪人も、一切、差別はない。
戒律を守らねばならぬ僧侶も、肉食妻帯している一般の人も差別はありません。
親鸞聖人は公然と肉食妻帯されることで、肉食妻帯している者でもそのままで本当の幸せになれる、それが本当の仏教なんだ。それを知ってもらいたい。
当時、マスコミ、インターネットもない時代です。
どうすれば多くの人に伝えることができるだろうか。
そうだ、自分が肉食妻帯を公然とすれば、多くの人が驚き、口コミで広がっていくだろう。
そうすれば認知はされるだろうが、反面、どんな非難攻撃を受けるかわからない。
もしかしたら命を狙われるかもしれません。しかしそれでも、伝えねばならないことがあると断行されました。
親鸞聖人の「肉食妻帯の断行」は炎上マーケティングだったのです。
まとめ
親鸞聖人が公然と肉食妻帯されたことが大問題になったのは、当時の仏教は山で修行して、煩悩と戦って悟りを得ようとする聖道(しょうどう)仏教がほとんどの時代だったからです。
親鸞聖人以前にも、隠れて肉食妻帯している僧侶はいましたが、それを公然としたために聖道仏教の僧侶も世間一般の人も驚き、非難の嵐が巻き起こりました。
そうなることがわかっていながら、あえて親鸞聖人が肉食妻帯されたのは、僧侶も世間一般の人も差別なく本当の幸せになれる「阿弥陀仏の本願」を明らかにされるためでした。
親鸞聖人がそこまでして明らかにされた阿弥陀仏の本願とは何か。
阿弥陀仏の本願を説明しています。
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