『歎異抄』が語る絶対の幸福|人生の終末にも輝く喜びを得る(後編)
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人生の船が向かう先
こんな場面を思い浮かべてみてはどうでしょう。
私たちは今、川を下る船に乗っている。
その川の行き着く先は「滝つぼ」です。
船の中では、好きな人と手をつないだり嫌いな人と争ったり、酒を飲んだり歌ったり、儲かった、損したと泣いたり笑ったりして暮らしています。
そんな日常は、それなりに楽しくもありますが、船内からは見えないだけで、乗っている船は実は、「滝つぼ」に向かって進んでいる真っ最中なのです。
「滝つぼ」とは、避けることのできない人生の終末を表しています。
これを人生の縮図とするならば、繁栄を夢見た1970年の大阪万博も、いわばこの船中の出来事の一つでしょう。
あれから約50年、船内の景色は大きく変わり、格段に便利で、物も豊かな暮らしぶりとなりましたが、それと引き換えに船は大きく「滝つぼ」へと近づいたのです。
政治、経済、科学、医学など、人間のあらゆる営みは、「無」から「有」への努力ですが、どれだけ努力しても、心の底に得体の知れない不安があり、幸福を味わえません。
それは「滝つぼ」という未来に向かって、刻一刻と船が進んでいるためなのです。
人生の終わりに明かりはあるか?
20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデガーは、人間を「死への存在」といい、必ず死なねばならないから不安であり、いつ死ぬか分からないから不気味である。
この不安と不気味さこそ、人間が常に置かれている状態だと指摘しています。
今は、「毎日楽しいですよ」と言っている人も、いざ不治の病にでもかかり、病室で一人、死に向き合わねばならなくなると、不安と不気味さを実感させられます。
ではなぜ、死に向かうと、そんな暗い心になるのか?
突き詰めると、死んだらどうなるか分からない、ハッキリしないからだとお釈迦さまは教えられています。
死んだらどうなるか分からない心。
これを仏教では、「無明の闇」とも「後生暗い心」ともいい、この心を抱えているから、何をやっても、何を得ても、心から幸せだと思えない。
苦しみの元凶だと説かれているのです。
いのち輝く未来に
かつての万博会場に建った「太陽の塔」に関するドキュメンタリー映画を監督した関根光才さんは、『朝日新聞』のインタビューにこう答えています。
「万博をテコに景気を良くするとか、単に大阪万博をもう一度やりたいとかいうのは、無意味です。(中略)経済至上主義とは別の価値を見せてほしい。それなら万博を誘致する意味があります」
今度の大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」です。
私たちの「いのち」が本当の幸福に輝く未来を実現するには、どうすればよいのでしょうか。
親鸞聖人のお言葉が記された古典で、名著の誉れ高い『歎異抄』。そこには、人生を苦しみ色に染める元凶である「死んだらどうなるか分からない心(後生暗い心)」の解決の道を、関東から京都の親鸞聖人の元まで、命懸けで聞きに行った人たちのお話が記されています。
親鸞聖人は、この後生暗い心が、後生明るい心に生まれ変わった時、初めて命が無限に輝く「絶対の幸福」に生かされるのだと仰っています。
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