あおり運転はなぜ起こる?|仏教が教える欲と怒りの関係
最近、「あおり運転」によるトラブルがよくテレビや雑誌で報道されています。
令和元年8月10日の常磐自動車道で起こった、あおり運転からの暴力事件が発端となり、あおり運転に関する話題をよく目にするようになりました。
これだけ騒がれているのだから今まであおり運転をしていた運転手も自制して件数が減るだろうと思いますが、今まで報告されてこなかったあおり運転も報告されるようになったためか、件数は増えているそうです。
あおり運転が起きる心の動きを仏教から見てみたいと思います。
あおり運転とは
「あおり運転」とは自動車などを運転しているとき、車間距離を極端に詰めたり幅寄せしたり、急な割り込みを行うなどの危険な運転のことです。
あおられた側が、先に、以下のことを行って、
・あおり
・割り込み
・クラクション
・急ブレーキ
・自分より小さな車に抜かれる
・追い越し車線での低速走行
・にらみつけ
あおる側が腹を立てて、あおり運転をしたり、中には車を停めさせて暴力行為をするケースもあります。
一方的にあおり運転する側が悪く捉えられがちですが、あおられる側が追い越し車線に居座り続けることがきっかけとなり、後ろの車が「ゆっくり走るなら走行車線に戻れ」という心から車間距離を詰めてあおり運転に繋がることも多いようです。
怒りの心が出る理由
仏教では私たちは誰もが108の煩悩を持っていると教えられます。
その中でも特に恐ろしい煩悩が
・貪欲(とんよく)-欲の心
・瞋恚(しんに) -怒りの心
・愚痴(ぐち) -恨み妬みの心
です。
瞋恚・怒りの心は欲の心が邪魔されたときに出てきます。
日常生活でも私たちはどんな時に怒りの心が出てくるか考えてみますと、
自分が楽しみに取っておいたデザートを家族に食べられたとき、
本当は手に入るはずのお金が他人の手違いで手に入らなくなったとき、
好きな異性が別の異性と親しくしているのを見たとき、
大勢の前で恥をかかされたとき、
他人のミスで自分の仕事が増えたとき、
など「おいしいものを食べたい」「お金やモノが欲しい」「好きな人と一緒にいたい」「人から良く見られたい」「楽がしたい」などの欲の心を他人に邪魔されると腹が立ちます。
あおり運転にしても、「もっとスピードを出したいのにトロトロ走りやがって」「安い車のくせに高級車の俺を追いぬかしやがって」などの欲を妨げられた怒りの心から起こっているのでしょう。
仏教で怒りは、一切の善根を焼き払う猛炎だと教えられています。
人間カッとなると、言ってはならないことを言ってしまい、やってはならないことをやってしまい、その結果、焼け野原に一人ポツンと立って泣かねばならないことになるのです。
「怒りは無謀に始まり、後悔に終わるものだ」
と言われるとおりです。
そのように腹が立ったときには、どうすればよいのでしょうか。
こちらの記事で解説しています。
最新記事 by あさだ よしあき (全て見る)
- 「南無阿弥陀仏」って何だろう?|念仏についての6つの疑問(後) - 2024年11月18日
- 「南無阿弥陀仏」って何だろう?|念仏についての6つの疑問(前) - 2024年10月21日
-
親鸞聖人が教える
お盆に思い出す亡くなった人に今からできる恩返しとは(後) - 2024年10月15日