どうせなら、「怒り」を「喜び」に転じてしまおう
最近「アンガーマネジメント」という言葉をよく耳にします。
直訳すれば「怒りの管理術」。
こうした技術がはやるのも、それだけ怒りの感情に悩む人が多いからでしょう。
仏教では、私たちを苦しめ悩ませるものを「煩悩」といい、一人に108の煩悩があると説かれています。
怒りもその一つ。日々、煩悩に振り回されている私たちが、その苦悩から解放されることは、果たしてできるのか。
今月は親鸞聖人とお弟子・弁円の物語を通して、「苦悩がそのまま歓喜となる」
驚きの解決法をお伝えしましょう。
私たちは「108の煩悩」の塊です
世界中で使われている「フェイスブック」の創立者として有名な、アメリカのマーク・ザッカーバーグ氏が、「仏教は素晴らしい宗教であり、哲学でもある。僕は徐々にそれについて学んでいるところだ。この教えについてもっと深く理解できるよう学び続けていきたいと思っている」
と自身のフェイスブックで語っています。
今回は仏教の中でも、特に広く知られている「煩悩」がテーマです。「煩悩」とは、すべての人に108あるので「108の煩悩」ともいわれます。
ただ煩悩の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる
とは芥川龍之介の言葉ですが、そんな煩悩いっぱいの私たち人間が、幸せになる方法はあるのでしょうか。
その答えが、親鸞聖人と弁円という人の物語にあります。
約800年前、欲や怒り、恨み妬みの煩悩の火と燃えて親鸞聖人のお命まで狙った弁円という男がありました。しかし聖人に導かれ、恨みと呪いの人生が感謝と喜びの人生にガラリと転じ、お弟子の明法房と生まれ変わっています。
「え、殺しに来たのに弟子になった?」 一体、何があったのでしょうか。
*「ただ煩悩の~」……芥川龍之介・作『袈裟と盛遠』
冷静と焦燥の間で── 弟子たちに〝大人の対応〟を見せる弁円
40歳を過ぎ、越後(新潟県)から関東へ赴かれた親鸞聖人は、常陸国(茨城県)稲田を拠点に20年、関東で教えを伝えられた。
当時、常陸国で一大勢力を誇っていたのが山伏・弁円である。山伏とは修験道という教えで苦行を積んだ人のこと。修験道の信者は、山伏に加持祈祷してもらえば病気が治り、商売は繁盛、災難も消滅するなどのご利益が得られると信じていた。弁円も修験道こそ本当の仏教だと信じていた。親鸞聖人が稲田で真実の教えを説かれ始めると、参詣する人が一人また一人と増え、稲田の繁盛ぶりを語る、こんなうわさ話が弁円の耳にも届いていた。
「今、稲田で評判の親鸞とかいう者を知っておられますか」
「どんな悪人でも助かるとか言って、えらい繁盛しているそうじゃ」
「ああ、親鸞といえば昔、比叡山の修行がつらくて逃げ出した男だろう?」
「肉食妻帯した堕落坊主じゃないか」
じっと耳を傾けていた弁円は、
「皆さんはそんな軽薄な教えに迷ってはなりませんぞ」
と釘を刺すも、胸に異物の感触を覚える。
自分たちへの参拝者が日増しに減ってくると、いよいよ弁円の弟子たちは冷静さを失ってきた。
「この頃、親鸞にだまされて、稲田に行く者が相当いるようだ。み仏に代わって成敗してくれようか」
いらだつ彼らに弁円は、「まあ待たれよ。所詮は人集めに都合のよいことばかり言っているのだ。やがては我々の修験道こそ、正しい仏教だと分かる時が、必ずある」と制止した。
*肉食妻帯……魚などの肉を食べ、結婚すること
「怒り」で失敗しないための仏教のアドバイス 「心の向き」がポイント
弁円にとって親鸞聖人の出現は、自分の庭に無断で踏み込まれたようなものでした。私たちは、他人の利害には鈍感ですが、自分の損得が絡んでくると、途端に敏感になります。他人の車が傷つけられても「お気の毒さま」とあくびして聞けますが、自分の車が傷つけられたら、犯人を見つけるまで気が済みません。
しかし弁円は、リーダーのプライドもあってか、最初は全く相手にしないそぶりを見せます。
欲が妨げられた時、出てくるのが怒りです。腹を立てると、つい言ってはならぬことを言い、やってはならぬことをやってしまう。そして取り返しのつかないことになりがちなので、「怒りは無謀に始まり、後悔に終わる」と昔から戒められています。
はやりの「アンガーマネジメント」(怒りの管理術)はアメリカのビジネス界で考案されたもので、怒りをコントロールし、自分の成長や前向きな力に転じるいろいろな心掛け、テクニックが教えられています。例えば、
○イライラを点数化してみる。
自分の怒りに、10段階評価で点数をつけてみる。点数の低い怒りに、いちいち振り回されずに済むようになる。
○ゆっくり大きく呼吸する。
深呼吸することで、体の緊張をほぐし、頭に血が上った状態を鎮静化させる。
○白黒つけない。
世の中には白黒つかないものが多いと、現実を受け入れる。
○80点で満足する。
常に満点主義では、足りない点ばかり気になる。ダメな点より、できている点に目を向ける。
こうした助言が必要とされるのも、それだけ怒りの心がビジネスの現場で失敗の原因になっているからでしょう。
過日も、某宅配業者がむしゃくしゃして荷物を地面に投げつける映像がインターネットに出回り、大きな問題となりました。カッとなって暴言を吐き、大事な取引先を失ったり、会社の信用を落としてしまう例はよく聞きます。こうした怒りの恐ろしさに対して、仏教でも様々にアドバイスされています。
腹が立った時、私たちがすぐ思い浮かべるのは「あいつのせいだ」「こいつのせいだ」ということでしょう。ある主婦が、ブログに「家の中で何か不都合があると『あいつか』と夫の顔がまず浮かぶ」と書いていました。ささいな怒りも積み重なると爆発しかねません。でもそこで、「我、必ずしも聖に非ず。彼、必ずしも愚に非ず。共にこれ凡夫のみ」(聖徳太子)と思えば、許せぬ気持ちも少しは穏やかになるでしょう。「自分は悪くない」の心が、相手を責め、悲しい気持ちにさせる元です。「ともに凡夫、お互いさま」と思えば、衝突も減り、心が楽になる。今より良好な関係が築けるでしょう。「謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり」、仏教では教えています。
また、自分の存在をないがしろにされ、「俺を無視するな」という寂しさからくる怒りもあります。特に年齢を重ねると、その傾向が強くなるようです。
いろいろと問題が重なると、自分だけが苦労の問屋のように思え、「何で私ばっかり」と怒りが込み上げてくることもあるでしょう。人一倍努力することは大切ですが、ともすると「俺はこれだけやっている」のうぬぼれ心が、怒り腹立ちの原因ともなります。そんな時は、ちょっと他人の頑張りに目を向けてみる。みんなも頑張っている。「苦労は自分だけ」と思ったら間違いだと謙虚な心を取り戻せたら、イライラもおさまり、「おかげさまで」「ありがとう」と感謝もできるでしょう。
ついに燃え上がる怒りの炎 その時、親鸞聖人は──
さて、親鸞聖人の隆盛にいらだつ弟子たちに「冷静になれ」と言っていた弁円だが、内心は穏やかではいられず、弟子の一人に稲田の様子を探らせた。
すると、親鸞聖人の元には常陸国だけでなく武蔵国(東京・埼玉周辺)や相模国(神奈川県)からも人が集まり、参詣者であふれ返っているというではないか。しかも「加持祈祷は迷信で、本当の仏教ではない」と説かれていると知り、弁円の中にドス黒い心が湧き上がる。自分の信念が否定され、恨み、妬みの心が起きてきた。ついに弁円は、親鸞聖人を呪い殺す祈祷を始める。
そんなおり、親鸞聖人が柿岡村へ布教に行くため板敷山を通られることを知った。
「チャンスだ」
自分が正しいと少しも疑わず、終始、肉食妻帯の聖人を見下している弁円は、弟子を従え板敷山で待ち伏せた。しかし聖人は現れず、やがて、すでに柿岡に到着しているとの知らせ。帰りこそはと潜伏するも、やはり失敗。実は親鸞聖人は別のルートで柿岡へ往復されていたのだ。次もその次も、聖人暗殺の陰謀はことごとく失敗に終わる。
やがて忍耐の限度を超える事件が起きた。有力な弟子が十数名を引き連れて造反したのだ。怒髪天を突いた弁円は、白昼、剣をかざして親鸞聖人の稲田の草庵へ押しかけた。
「やい、親鸞いるか!肉食妻帯の堕落坊主!み仏に代わって成敗してくれるわ!出てこい!!」
門前の怒号に、門弟たちは血相を変えて聖人のもとへ集まった。
「お師匠さま。どうか裏から安全な所へ」
懇願する弟子たちに聖人は諭される。
「親鸞が弁円殿の立場であれば、親鸞が押しかけていくだろう。謗るも謗られるも、恨むも恨まれるも、ともに仏法を伝える尊いご縁なのだ。会わせてもらおう」
弁円は門を破って境内に乱入し、玄関前に仁王立ちになった。
「出てこないなら、こちらから踏み込むぞ!」
叫んだが早いか、引き戸が開き、
「お待たせしました。弁円殿」
と聖人が姿を現される。
「親鸞か……。覚悟せえ!」
剣を振りかざし、親鸞聖人に向かっていく弁円。しかし数珠一連持たれたのみで、無造作に立たれる聖人のお姿に、ピタリと足が止まる。一瞬、弁円はわが目を疑った。燃やせる全てを燃やし、憎悪の炎を湯気のように立てている弁円に、「よく参られた」と手を伸ばさんばかりの聖人の笑顔は仏か、菩薩か……。これが不倶戴天の怨敵と呪い続けた親鸞か……。
見る見るうちに殺意は消え失せ、両の手から剣が滑り落ちた。
「ああーっ!俺は間違っていた。俺は、間違っていた」
がっくりと大地に膝を突き、血走っていた眼から、熱い悔恨の涙が止めどなくあふれ出た。
「弁円、一生の不覚。お許しくだされ、親鸞殿。稲田の繁栄を妬み、己の衰退をただ御身のせいにして憎んでいたこの弁円。思えば恐ろしい鬼であった。どうか今までの大罪、お許しくだされーっ」
泣き崩れる弁円の肩に、聖人はそっと手を置かれる。
「いやいや弁円殿。そなたは正直者じゃ。まこと言えば親鸞も、憎い、殺したい心は山ほどあり申すが、それを隠すにほとほと迷惑しておりまする。それに引き替え、弁円殿は思いのままにふるまわれる。素直な心が羨ましい」
「親鸞殿……。こんな弁円でも助かる道がござろうか」
「何を言われる弁円殿。こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、と仰せの弥陀の本願じゃ。何の嘆きがあろうか」
「ああ、親鸞殿。どうか、この弁円をお弟子の一人にお加えくださるまいか。お願い申す。お聞きくだされ!」
「いやいや弁円殿。親鸞には一人の弟子もあり申さぬ。ともに弥陀の本願を聞信させていただくわれらは御同朋、御同行。喜ばしき友であり、兄弟なのだ。弁円殿も早くお聞きくだされ」
見守る弟子たちの頬にも涙が伝っていた。かくて弁円は、親鸞門下の一人、明法房と生まれ変わったのです。
*聞信……「まことだった」と聞いて知らされること
暴走する怒りが一転、懺悔に 「変わりはてたる我が心かな」
108の煩悩の中でも恨み、妬みの心ほど「負のエネルギー」が充満しているものはないでしょう。親鸞聖人は、「心は蛇蝎のごとくなり」(ヘビやサソリを見た時のようなゾッとする心だ)と言われています。
恨み、憎しみの鬼と化した弁円は一筋に聖人を呪い続けますが、弟子の裏切りによって、ついに怒りを爆発させました。
カッとなった時、自己の内面に目を向け反省するには、ある程度、心の余裕が必要ですが、分かっちゃいるけど、どうにもならぬ。まさに弁円がそうでした。
しかし弁円の幸せは、相手が親鸞聖人だったことでしょう。そのあと、弁円はどうなったのでしょう。
*
後日、明法房(弁円)が親鸞聖人と板敷山を歩いていた時、かつて恩師を殺害せんと待ち伏せた所に差しかかりました。
弥陀の本願によって「絶対の幸福」に救い摂られた明法房が、その時詠んだといわれるのが、次の歌です。
山も山 道も昔に 変わらねど 変わりはてたる 我が心かな
山も道も、あの時のまま。煩悩も少しも変わらない。それなのに、わが心は何と大変わりしたことか。最も憎んでいた人が、最も尊敬する方になろうとは。
鬼の弁円が、懺悔と感謝法悦の明法房と生まれ変わった不思議。これは一体、どんな幸せな心の世界なのでしょうか。そんな幸せを教えられたのが親鸞聖人なのです。
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