欲の根底にある恐ろしい心とは?|誰の心にも潜む我利我利
「水爆の父」と言われる物理学者のエドワード・テラーという人がいます。
水爆といえば、大変な破壊力を持ち、人類史上最悪の兵器と言われるものです。
「水爆によって無限の破壊力を実現したい」という自らの欲望を追求した結果、多くの人の命を奪いかねない大変な兵器を生み出したエドワード・テラー。
彼の人生は、非常に寂しいものでした。
名誉を追い求める先にあったもの
彼にはオッペンハイマーというライバルがいました。
容姿端麗で、科学者仲間からの信頼も厚く、プロジェクトチームのリーダーに任命されるようなオッペンハイマー。
元は共に切磋琢磨する良き友人であったにも関わらず、テラーは、ちょっとしたねたみの心から、オッペンハイマーを中傷するようなことをしてしまいます。
それにより、オッペンハイマーはもちろん、他の科学者仲間たちの心も離れていきました。
そして、オッペンハイマーとの友情は生涯戻ることはありませんでした。
人には誰しも、認められたい、称賛されたいという名誉欲があります。
そのために一生懸命仕事に取り組んだり、他人のために尽くしている人も多いのではないでしょうか。
それは、科学者と言えども例外ではありません。
誰よりも才能があり、頭がいいと思われたい。
その名誉を得るためならば、兵器によって誰が傷ついても、誰を蹴落としてもかまわない。
テラーには、このような心があったのでしょう。
欲が恐ろしいと言われる理由
お釈迦さまは、「自分さえよければいい、他人はどうなってもかまわない」という心を我利我利(がりがり)と教えられています。
恐ろしい心だと思いますが、この心はすべての人にあると説かれているのです。
仏教では、すべての人は「煩悩具足の凡夫」だと言われています。
「煩悩具足の凡夫」とは、煩悩でできているのが人間だということ。
煩悩は108ありますが、中でも特に恐ろしい欲や怒り、ねたみ・そねみの心を「三毒」と言われます。
怒りやねたみ・そねみが恐ろしいのはなんとなく分かりますが、欲が恐ろしいと言われるのはなぜなのでしょうか。
それは、欲の本性が我利我利(がりがり)だからです。
欲は、食べたい飲みたい、1円でも多くお金が欲しい、褒められたいという心ですが、これらの欲を満たそうとすると出てくるのが我利我利です。
自分が欲を満たすためには、他人が邪魔になる。
そうすると、相手を傷つけ、蹴落としてでも自らの欲を満たそうとする心が動きます。
それは大変恐ろしい心ですから、欲は三毒の一つに数えられるのです。
他人も自分も傷つける心
エドワード・テラーは、自らの名誉欲を満たすために、友人であるオッペンハイマーを蹴落とそうとしました。
ところが、それによってテラーは幸せになるどころか、自らの評価を落とし、孤独になってしまったのです。
我利我利を押し通せば、自分も他人も傷つける自損損他(じそんそんた)で、絶対に幸せにはなれません。
だからこそ、仏教では我利我利は最も嫌われ、自利利他(じりりた)を勧められています。
自利利他とは、他人の幸せを念ずるままが、自分の幸せになるということです。
自分のことは後回しにして、他人のために率先して動ける人は、必ず幸せに恵まれると教えられたのが仏教なのです。
自分の姿を見つめると分かること
私たちは煩悩具足の凡夫ですから、根底には必ず我利我利の心があります。
もし、その我利我利の心のままに振る舞えば、人は離れていき、孤独になってしまうでしょう。
だからこそ自分勝手にならないように周りに気を遣って生きていますが、余裕がなくなると他人を押しのけようとする心が顔を出すのです。
普段自分勝手な振る舞いをしている人を見ると、嫌な気持ちになる人が多いのではないでしょうか。
しかし、それはある時の自分の姿かもしれません。
仏教に説かれる自分の姿をよく知ると、絶対にあんなことをしないとは言い切れない自分であると知らされてきます。
「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」(『歎異抄』)
(縁が来れば、どんな恐ろしいことでもする親鸞である)
自己の姿を徹底して見つめられたのが親鸞聖人でした。
こちらの記事では、その教えが書かれた『歎異抄』について解説しています。
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