先取りしてブッダが教えていたAI時代に大切なたった1つのこと
2019年の初頭は、間もなく平成が終わり、新時代を迎えようとする時です。
今、関心の高まっているのが、「AI(人工知能)」です。近頃、テレビや新聞でもよく取り上げられていますね。
驚異的なスピードで進歩し、人々の生活を便利にしていくAIですが、それによって私たち人類は、かつてない問題に直面しているともいわれます。
そんな変化の激しい時代にこそ、2600年前から変わらぬお釈迦さまの教法がますます光を放つのです。
どういうことでしょうか。
すでにAIは身近にあふれている
「AI(人工知能)」とは、人間の脳のように自ら学習して考え、問題を解決することができる機械の機能です。
そう聞くと、何だか難しく感じるし、自分とは関係なさそう……と思うかもしれません。しかし実は、すでに私たちの日常にAIは浸透しつつあります。
例えば、スマートフォンに話しかけるだけで、指で操作しなくても電話をかけたり、メールを打てたりする。
話し相手がなくて寂しい時も、スマホが会話につきあってくれます。
お店に入れば、ヒト型ロボットが案内してくれる。
運転手がいなくても安全に走る自動運転のクルマも、もうすぐ実用化されるでしょう。
これら全て、AI技術の進歩発展によって、可能になったことばかりです。
建築や介護の現場では、AIを搭載したロボットが活躍し始めています。
人間が動かさなくても、四足歩行でビルの建設現場を見回るロボットも登場しました。
力仕事や危険な作業もお任せ。人手不足も解消できそうです。
事務作業も、はるかに短時間で何倍もの仕事量をこなす。
人間みたいに文句も言わず、ミスを原因分析し、学習を重ね、確実に設定した目標を達成していくのが、AIのスゴイところです。
チェスや囲碁、将棋などで、AIが世界チャンピオンに勝利するようになりましたが、さらに最近は、人間にしかできないと思われていたことも次々と可能になってきています。
2018年10月、米・ニューヨークの競売に出品された1枚の男性の肖像画に、4800万円の値がついた。落札価格以上に話題になったのは、その絵の作者。幅広い年代の肖像画1万5000点を分析したAIが描いたものでした。
絵画だけではありません。今や、小説や脚本を書いたり、作曲などの創作活動も、人間が作ったものと見分けがつかないほどレベルが高いそうです。
AIの進化は いいことずくめ?
こうした日進月歩のAI(人工知能)の向上により、私たちの生活はより便利になるのですから、いいことずくめのように思えます。
しかし、AI研究の世界的権威で、人類の未来に警鐘を鳴らすレイ・カーツワイル氏(アメリカ)は、「技術的特異点(シンギュラリティ)」という概念を提唱し、2045年には、AIが人間の知能を超えると主張しています。
さらには、AI自身が人間の手を借りずとも、より優秀なAIを生み出せるようになり、そんなAIやロボットたちが、人間に取って代わって社会を動かすようになる。ドラマや映画の世界が現実となるのは、遠い未来ではないともいわれます。
「車椅子の天才科学者」として知られ、2018年3月に亡くなったスティーブン・ホーキング博士(イギリスの理論物理学者)は、2014年5月の英紙『インディペンデント』への寄稿で、
「人工知能の発明は人類史上最大の出来事だった。だが同時に、『最後』の出来事になってしまう可能性もある」
と語り、英BBCのインタビューでも、こう警告しています。
「完全な人工知能を開発できたら、それは人類の終焉につながる」
AIが問う、人間の存在理由
身近なことで考えてみても、能力、技術力の高いAIに、人間の仕事が奪われていくことに、若い世代を中心に不安が広がるのもうなずけます。
“仕事しなくていいなんて、けっこうなことじゃないか”と喜べるのは最初だけ。
暇を持て余すのみの毎日に、果たして私たちは耐えられるでしょうか。
“もう引退したから、仕事は関係ない”という世代でも、「子や孫が命」という人はあるでしょう。
もし、AIが自分より上手に子守、孫守をしたなら、
「おじいちゃん、おばあちゃんよりも、ロボットのほうがいい」
なんて言われてしまうかもしれません。
しかも問題は、仕事を奪われることにとどまりません。
私たちの多くは、“労働には価値がある”“仕事こそ人生”と信じて生きてきた。
そういう価値観や常識をAIは崩壊させてしまうのです。
AI搭載のロボットが、人間と変わらない、あるいはそれ以上に、目覚ましい仕事をし、社会貢献をし、芸術活動までするようになると、人間は、いてもいなくてもよくなる。
むしろ、いないほうがスムーズで、争いも犯罪も環境破壊もなく、地球や社会の利益になる──。
科学者が予見したように、人間が「捨てられる」時代が到来するかもしれません。
こうなると、
「人が生きる意味って何?」
「何のために人間は存在するのか?」
という議論が出てくるのも当然でしょう。
私たちは今、こういう根本的な問いをAIから突きつけられているのです。
果たして、これに答え切れる人はあるのでしょうか?
2600年前に答えは出ている
「人は、なぜ生きる?」
実は、この問い一つに答えられた方が、2600年前のお釈迦さまなのです。
釈迦の説かれた仏教では、AI中心の社会が実現しようが、しまいが、それに全く左右されない人間の尊厳があることを明らかになされています。
それを、お釈迦さまは次のお言葉で教えられています。
天上天下 唯我独尊
これは、世間に大変誤解されている仏教の言葉で、多くの人は、「この世でいちばん偉くて尊いのは、ただ私一人である」とお釈迦さまが威張られているように思っています。
ですから、他人を見下げてうぬぼれている人を、“あいつは、唯我独尊だ”などといいますが、決してそのような思い上がった言葉ではありません。
「天上天下」とは、天の上にも天の下にも、「大宇宙広しといえども」ということです。
「唯我独尊」の「唯」は、ただ一つ。そして、最も間違われているのが「我」の意味で、これはお釈迦さまだけではなく、私たち「人間」のことなのです。
「独尊」とは、「たった一つの尊い使命」であり、人生の目的のことです。
ゆえに、大宇宙広しといえども、人間にしか果たせないたった一つの尊い目的があって、私たちは人間に生まれてきたのだ、と教えられているお言葉です。
AIが、どれだけ人間と見た目がそっくりで、人間以上の能力を発揮しようとも釈迦の説かれる「独尊」はありません。
人間とAIは根本的に違うのです。
人間でなければ決してなれない「摂取不捨の幸せ」
AIロボットは、壊れて停止したらそれでおしまい。
しかし、人間は違う。肉体が死んで動かなくなっても、生命は終わらないのです。
それは、私たちも何となく感じているでしょう。
例えば、人が死ぬと葬式をして、「先に逝ったお母さんと仲良くね」とか「あの世で大好きなお酒を思う存分飲んでください」などと、故人に当然のように語りかけたりします。
AIが壊れたからといって、人間のように葬式を出そうとしたり、「あの世でも存分に働いてください」「先に死んだAIたちと仲良くね」などとは思わないでしょう。
どんなに人間に似ていても、そこに人間のような生命はないと感じているからです。
人間は精密機械ではありません。
死ねば無になるというのは間違いだとお釈迦さまは仰せです。
肉体を川面にできた泡に例えるならば、永遠不滅の生命は川の流れそのものといえます。
泡も川の水も別物ではありませんが、泡がほんのしばらく流れてパッと消えてしまっても、川の流れは変わらず続いていきます。
私たちの永遠の生命は、この川の流れと同じなのです。
つらい仕事を全部AIに任せてしまえば、人間は、食べたり飲んだり、遊んだりと、この世の快楽しか求めるものがなくなるかもしれません。
しかし、そんな満足は一時的で、じきに飽きてしまう。
ましてや、死なねばならなくなったら、この肉体ごと「捨てられて」しまいます。
栄華を極め、この世の楽しみを存分に味わったであろう太閤・秀吉でさえ、臨終には、「難波のことも、夢のまた夢」と言い残して、寂しく死んでいるのですから。
仏教には、一時的な肉体の満足ではなく、とうとうと流れる永遠の生命が大満足させられる真実の幸福が説かれています。
それこそが「独尊」であり、人生の目的なのです。親鸞聖人はその幸せを、
摂取不捨の利益(ガチッと摂め取って永遠に捨てられぬ絶対の幸福)
と仰っています。これは有名な『歎異抄』という本に記された言葉です。
仏法を聞いて摂取不捨の幸福になり、それを伝える以上に人々を幸せにすることはありません。
釈迦が「独尊」と言われたのは、このことです。
この万人共通の人生の目的がハッキリすれば、AIによって人間の存在意義が脅かされるということはありません。
むしろ、AIという最強の道具を、人類の真の幸福のために、自在に使いこなせるようになるでしょう。
それでこそ、AIの進化が本当に生かされるのではないでしょうか。
人生の目的を知って、最先端のAIを存分に使いこなす人生を送りましょう。
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