難読名字「四十八願(よいなら)」|四十八の願いとは何のことか?
現代の日本人は誰でも持っている名字。
江戸時代までの日本では公的な名字を持つ人は公家や武士だけでした。
それがすべての人が名字をもつようになったのは明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令により名字を持つことを義務付けられてからです。
それ以降は「佐藤」や「鈴木」などの名字を誰もが持つようになりましたが、日本には(既に存在しない名字まで含めて)30万種の名字があるそうです。
その中には難読名字と言われる、なかなか普段目にしないため読み方が難しい名字があるのですが、その中の1つが「四十八願」です。
読み方を知らないと「しじゅうはちがん」とか「よんじゅうはちがん」と読んでしまいそうですが、「よいなら,よいなが,よそなら,よそたけ,よそなが,よそはら」などと読みます。
四十八の願いとは何のことなのでしょうか。
なぜ47でも49でもなく48なのでしょうか。
それには仏教で教えられる阿弥陀如来の本願が関係しています。
名字「四十八願」の由来
四十八願という名字の由来は栃木県佐野市葛生東の小字の四十八願という地名に起源があり、この地が「四十八願」と呼ばれることになった確実な根拠は残っていませんが、主な説が2つあります。
1つめの説は、昔この付近には伝染病による死者を葬る場所があり、不浄の地として嫌われていました。
それがあるときこの地に僧侶がやってきて、死んだ人を弔うために阿弥陀如来の四十八願と掛けて、『四十八願』とこの地域を名付けました。
一方でこの付近の人は「あそこは伝染病で死んだ人を葬る所だから『黄泉野原(あるいは「冥土の原」)』だ」と呼び、「よみのはら」がなまって「よいなら」と呼ばれるようになりましたが、字は僧侶が名付けた『四十八願』が当てられたため、『四十八願』と書いて「よいなら」と読まれるようになったそうです。
この付近には「才ノ神(さいのかみ)」「悪土(あくど)」「山ノ神(やまのかみ)」「蛭子ケ入(えびすいり)」という地名もあり、このあたりは伝染病患者の遺体を捨てる「捨て墓」の地であった可能性は大いにあります。
2つめの説は、栃木県佐野市葛生東1丁目にある安養院(あんにょういん)というお寺のある辺りを四十八願(よいなら)と呼んだことが発祥です。
安養院の境内にある石碑には
当山は、八龍山阿弥陀寺安養院と号し、真言宗豊山派総本山長谷寺の末寺なり。
嘉吉元年(1441)葛生町東山麓四十八願の地に、空性上人が阿弥陀如来をご本尊に安置、南に八龍権現を祀り創建。
後に二度の災禍に遭うが、弘化元年(1844)当地に再建なる。宗旨宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
とあります。
もしかしたら1つめの説に出てきた僧侶が安養院を創建した空性上人という人なのかもしれません。
阿弥陀如来の四十八願とは?
「四十八願」の由来となった2つの説の両方とも「阿弥陀如来」という仏さまのお名前が出てきます。
四十八願と言えば阿弥陀如来の四十八願というほど有名だからです。
仏さまは皆、願い=約束を持っています。
薬師如来なら12の願、お釈迦さまなら500の願を立てています。
阿弥陀如来は48の願を立てていらっしゃいますので、阿弥陀如来の四十八願と呼ばれます。
阿弥陀如来とはどのような仏さまかと言いますと「大宇宙にはインドのガンジス河の砂の数ほどの仏がいるが、それらの仏の師匠の仏が阿弥陀如来だ」とお釈迦さまは紹介されています。
阿弥陀如来と言っても、釈迦如来と言っても、大宇宙の真理のことを「如来」とか「仏」と言っているだけで同じ仏さまだろうと思う方もあるかもしれませんが、阿弥陀如来とお釈迦さまは師匠と弟子の関係です。
阿弥陀如来について詳しくはこちらをご覧ください。
そして阿弥陀如来の四十八願の中でも特に有名なのが18番目のお約束である十八願です。
阿弥陀如来の十八願が本当の願いのため、阿弥陀如来の本願とも言われます。
「阿弥陀如来の本願」は聞いたことがなくとも、「他力本願」は聞いたことがある方も多いでしょう。
「阿弥陀如来の本願」と「他力本願」は同じ阿弥陀如来の十八願のことを指します。
他力本願についてはこちらをご覧ください。
最新記事 by あさだ よしあき (全て見る)
- 「南無阿弥陀仏」って何だろう?|念仏についての6つの疑問(後) - 2024年11月18日
- 「南無阿弥陀仏」って何だろう?|念仏についての6つの疑問(前) - 2024年10月21日
-
親鸞聖人が教える
お盆に思い出す亡くなった人に今からできる恩返しとは(後) - 2024年10月15日