なぜ、世界の科学者 哲学者が仏教にひかれるのか
2020年の東京五輪に向け、“海外に日本のよさを発信していこう”という機運が高まっています。
では、日本から何を発信できるでしょう。
伝統的な工芸や和食、マンガやアニメなどのサブカルチャー、ロボットなどの最新テクノロジー、あるいは、「おもてなし」の心。
もちろん、それらも素晴らしいですが、もっと大事なものを忘れてはいませんか?
20世紀最大の哲学者といわれるドイツのハイデガーは、日本人に次のようなメッセージを寄せています。
「商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい」──。
さて、ハイデガーが日本人に期待したという「深い教え」とは何なのでしょう。
今回はそれをテーマにお話ししたいと思います。
「仏教って、どんな教え?」海外の人に聞かれたら……?
「欧米で自分の宗教を聞かれたら、無宗教って答えないほうがいいよ。仏教徒って言ったらいい」
留学を控えたある学生が、先輩からこんなアドバイスを受けたといいます。
宗教を人生観の根本に置く欧米では、個人が宗教を持つのは当然であり、無宗教では人格さえ疑われかねないそうです。
「確かにわが家は浄土真宗だけど、『それはどんな教え?』と聞かれたら、何と答えたらいいのだろう……」
その学生は戸惑ったといいます。
日本は、6世紀半ばに仏教が伝来し、聖徳太子が十七条憲法に
「篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり」
と制定して(604年)以来、ずっと仏教国でした。
ほとんどの日本人が、宗旨を聞かれたら、浄土真宗、真言宗、禅宗などと仏教の宗派を答えるでしょう。
しかし、日本語や文化、習慣の至るところに仏教精神は浸透しているにもかかわらず、
「仏教について考えたこともなかった」
という日本人が多いのも事実です。
それに対し、海外では近年、仏教ブームが起きているといわれます。
アメリカ・ニューヨーク州ではリゾート施設が次々と仏教の施設に変わったり、ハリウッドの有名俳優や世界的な起業家たちが、
「仏教は素晴らしい宗教であり、哲学でもあります。私は徐々に学んでいるところです。もっと深く理解できるように学び続けていきたい」
(実業家 マーク・ザッカーバーグ)
などと発言しているのです。
仏教国の日本人は、身近なために、かえってその魅力に気づいていないのかもしれません。
日本人の知らない仏教の深遠さを世界の偉人は感じ取っている
世界的に著名な学者が、仏教を絶賛している例は数多くあります。
例えば、現代物理学の基礎である相対性理論を生み出し、20世紀の世界を大きく変えたといわれる天才科学者アインシュタインは、仏教に大きな期待を寄せていました。
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です」
「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教です」
これは、キリスト教をはじめ多くの宗教が、ガリレオの地動説やダーウィンの進化論などの科学の進歩と入れ替わるように“真理”の座から滑り落ちていったことを、暗に比べて言っているのかもしれません。
「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です」
こう言ったのは、ニーチェ(ドイツの哲学者)でした。
彼は、わずか24歳で大学教授になるほどの天才ながら、「神は死せり」の断言で、キリスト教社会から痛烈な非難を浴びました。
しかし、没後100年以上たってようやく世界がニーチェの先見性に気づいたのですから、やはり“天才”だったのでしょう。
当時、圧倒的に力のあったキリスト教を真っ向から否定し、無神論者を表明していましたが、仏教についてだけは、
「仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう」
と称賛しています。
前述のアインシュタイン、ニーチェをはじめ、ワーグナー(音楽家)、トルストイ(小説家)、フロイト(心理学者)など様々な分野の第一人者に影響を与えたといわれるドイツの哲学者ショーペンハウアーも、こう言っています。
「私は他のすべてのものより仏教に卓越性を認めざるをえない」
彼の哲学は、仏教思想に深く共鳴している内容でした。
イギリスの哲学者・数学者のバートランド・ラッセルは、ノーベル文学賞を受賞し、親交のあったアインシュタインらと核兵器廃絶、科学技術の平和利用を訴えた宣言文が有名です。97歳まで長生きした、そのラッセルは、
「今日の宗教では、仏教がベストだ。その教えは深遠で、おおよそ合理的である」
と言っています。
また、人間の深層心理を研究した、世界的な心理学者ユング(スイス)も、
「仏教はこれまで世界の見た最も完璧な宗教であると確信する」
と語り、歴史家として、世界の文化史を著したH・G・ウェルズ(イギリス)は、
「現在では原典の研究で明らかになったように、釈迦の根本的な教えは、明晰かつシンプル、そして現代の思想に最も密接な調和を示す。仏教は世界史上知られる最も透徹した知性の偉業であるということに議論の余地はない」
と仏教を絶賛しています。
「日本語を勉強して、仏教を学びたかった……」ハイデガー、晩年の述懐
冒頭に紹介したコメント、
「日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい」
と言ったドイツのマルティン・ハイデガーは、『存在と時間』という著作で知られますが、晩年に仏教の名著『歎異抄』に出遇い、衝撃を受けたことを告白しています。
「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。(中略)もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。遅かった」
ここでハイデガーが感銘を受けたという『歎異抄』とは、日本で最も有名な仏教書です。
親鸞聖人の肉声が、弟子の唯円房によって流麗な文章でつづられていることから、全文を暗唱する愛読者もあるほどです。
ハイデガーは続けて、こうも言っています。
「日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として世界に貢献するといっているが、私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから聖人の教えの匂いのある人間になって欲しい。商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。そしたら世界中の人々が、親鸞聖人の教えの存在を知り、それぞれこの教えをわがものとするであろう。そのとき、世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。21世紀文明の基礎が置かれる」
なぜ、かくも多くの世界の科学者、哲学者たちが仏教に注目し、褒めたたえるのでしょうか。
それは、仏教には古今東西すべての人にとっていちばん大事なことが教えられているからです。
仏教にだけ説かれている最も大事なこと
私たちは何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
どんなに苦しくとも、なぜ自殺してはいけないのでしょうか。
一言で言えば「人は、なぜ生きる」。生きている人にとって、これ以上大事なことはあるでしょうか。
かつて「テスト戦争」という詩を残し、小学5年の男の子が、高層団地から飛び降り自殺をするという悲しい出来事がありました。
遺書の代わりに残された詩には次のように書かれていました。
紙がくばられた
みんなシーンとなった
テスト戦争の始まりだ
ミサイルのかわりにえん筆を打ち
機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ
そして目の前のテストを敵として戦う
自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ
テストが終わると戦争も終わる
テストに勝てばよろこび
負ければきずのかわりに不安になる
テスト戦争は人生を変える苦しい戦争
勉強してどうなるのか、やくにたつ、それだけのことだ、勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、ロボット化をしている。
こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。
男の子の遺したこの問いに、私たちは答えられるでしょうか?
「かけがえのない命だから、とにかく生きなきゃダメだ」
「人生まだこれからじゃないか。生きていればきっといいことがあるから」
などと励ましても、「どうして?」「いいことって何?」と問い返されたら、言葉に詰まってしまいます。
人命は尊いんだ、生きていればいいことがある、と信じて当てもなく走り続けてきた人が、“結局、何もなかった”と毎年何万人も自ら命を絶っている現実を、子供たちは知っているのです。
「苦しくても、なぜ生きねばならないのか」
それが示されないまま、ただ苦しみに負けず「生きよ」「頑張れ」「死ぬな」の連呼では、ゴールのない円形トラックを回り続けるランナーに、鞭うつようなものでしょう。
「人生には、なさねばならない目的がある。どんなに苦しくても、生き抜かなくては」
と生きる目的が鮮明になってこそ、真に明るくたくましい人生が開かれるのではないでしょうか。
アメリカの世界的実業家、日本でも多くの人が使っているスマートフォン・iPhoneの生みの親、スティーブ・ジョブズは、若い頃から仏教に関心を持ち、日本で僧侶になろうかと真剣に考えたほど、熱心に学んでいたといいます。
彼は、かつてスタンフォード大学の卒業式で、次のような言葉を卒業生たちに贈りました。
「人生を左右するわかれ道を選ぶ時、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと思います。ほとんどのことが──周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など──そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです」
死に直面してもなお残る「本当に大事なこと」とは何でしょう。
それは、その人にとって、
「私はこのために生まれてきた」
と言えるものであるはずです。それが、「なぜ生きる」の答えです。
そんな答えが、あそこにもここにもあるものではありません。
書店に行けばズラリと本が並び、ネット上にも人生についての情報はあふれていますが、いずれも“どう生きるか”(生き方)を提言したものばかり。
ジョブズの言葉を借りれば、周囲の期待にどう応えるか、プライドをいかに保つか、ばつの悪い思いや失敗をしないための方法などは、世にあふれています。
肝心の「なぜ生きる」の答えは、結局分からないままで人生を終えていく人が大半なのです。
人生の成功を体現したとされている太閤秀吉でさえ、最期は、
「難波のことも夢のまた夢」
と死んでいったではありませんか。
仏教には、その「なぜ生きる」の答えが鮮明に説かれています。
だから、その教えに触れた人は、時代も国も超えて、称賛せずにおれなくなるのです。
仏教の真髄を記された『正信偈』と『歎異抄』
では、私たちはどうすれば、その仏教を知ることができるのでしょうか。
お釈迦さまの教えは、今日、7千冊以上のお経に書き残されています。
その7千余巻の一切経を何度も読まれ、釈迦の教えの真髄を喝破された方が、日本の親鸞聖人なのです。
多くの著作の中で、聖人の教えの全てが記された主著『教行信証』は、一切経を圧縮した内容になっています。
さらにこの『教行信証』6巻を凝縮したのが、「きみょうむりょう」で始まる有名な『正信偈』です。
浄土真宗の家では、朝と晩に仏前で勤行することになっています。
漢字840字の短いお言葉ですが、この『正信偈』に親鸞聖人は、私たちの生きる目的をハッキリと教えられています。
とはいえ、漢字ばかりで私たちには大変難しく感じます。
その『正信偈』のこころを、ひらがな交じりの美文で記されているのが、晩年のハイデガーも感嘆したという『歎異抄』なのです。
この『正信偈』と『歎異抄』に、お釈迦さまの教えの真髄、「なぜ生きる」の答えが、どのように教えられているのでしょうか。
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