トビカズラの別名「優曇華」|「優曇華」とはどんな花?
とちぎ花センターで3/23にトビカズラという花が開花しました。
トビカズラはマメ科の花で滅多に咲かない花で、別名を「優曇華」と言います。
滅多に咲かない花が咲いたのですから嬉しいはずなのですが、とちぎ花センターの温室担当・永島安紀さんは
「1週間くらい前につぼみを発見したとき、(つぼみを見るのが)あまりに久しぶりだったので、その時点ですごくびっくりしていました」
「うれしかったんですが、何か起こるような不安な感じも…」。
と言葉を濁らせていました。
滅多に咲かない花なのになぜ不安な感じがするのでしょうか。
トビカズラとは
トビカズラの原産地は中国長江流域で、日本ではあまり咲いていません。
花は5~6月に咲き、5月頃に古い枝から垂れ下がるように固めの暗紫色の花を付けます。
名前の由来としては治承・寿永の乱(1180~1185)で、壇ノ浦の戦いで敗れた菊池隆直の一党が熊本県山鹿市の相良寺に落ちのびた際に、豊後竹田の源氏方の武将である緒方三郎惟栄に攻められたのですが、焼き討ちの際に寺の千手観音は飛翔してこのカズラに飛び移り危うく難を逃れたとか、千手観音がカズラに姿を変えて飛来し、走落の坂を下る緒方三郎の足にからみつき、落馬したところを残兵が討ち取ったと伝えられています。
トビカズラは別名を優曇華(うどんげ)とも呼ばれ、「開花すると国家的変事が起きる」と言われていたそうですが、1929年(昭和4年)5月に35年ぶりに開花した翌年には、満州事変が起きました。
そのため、とちぎ花センターの方は「何か起こるような不安」と言っていたのです。
優曇華とは
そのような不吉な話とは逆に仏教で「優曇華」と言うと三千年に一度しか咲かない花で、もし咲いたときには金輪王か如来が現世に現れると言われています。
「優曇華」はサンスクリット語でウドゥンバラと発音されたものを中国語に翻訳する際に「優曇華」と表記されたものです。
お経では
「無量億劫にも、値(あ)い難く見難し。なお霊瑞華の、時あってすなわち出づるがごとし」(大無量寿経)
「優曇盋華(うどばけ)のごとし。希有にして遇い難きが故に」(大無量寿経)
「希有、希有、仏の世に出るは、優曇華の一時のみ現れるがごとし」(金光明経)
「如来に会うて妙法を聞くを得るは、希有なること優曇華の如し」(大般若経)
などと説かれており、仏に会うことやその仏の説かれる教えを聞くことの難しさ、ありがたさを表すための比較として「優曇華」が出てきます。
仏法を聞くのは難しいとのことですが、近くのお寺でもインターネットでも簡単に聞けるように思えますが、なぜ三千年に一度しか咲かない花に譬えられるのでしょうか。
仏法聞き難し
仏法を正しく説く先生のことを「善知識(ぜんぢしき)」と言いますが、善知識にあうことは難しいと浄土真宗を開かれた親鸞聖人は
善知識にあうことも
おしうることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなおかたし
と言われています。
お釈迦様は、地球上で初めて仏教を説かれた方ですから、善知識の元祖です。
その釈迦の教えられたことをすべて書き残されているのが、七千余巻のお経です。
仏教とはどんな教えかを知るには、そのお経をあますところなく読んで、正しく理解しなければなりませんが、漢字ばかりのお経、しかも一字一句が極めて深遠な意味を持つ仏語の連続ですから、誰でも彼でも読めるものではありませんし、正しく理解できるものでもありません。
親鸞聖人も比叡山で20年仏法を学びましたが、比叡山にはお釈迦様の教えを正しく説く人はおらず、泣く泣く比叡山を下りて京都の町をさまよっているときに、吉水で説法をされていた法然上人に出会い、正しい仏法を聞くことができた実体験から「善知識にあうことは難しい」と言われたのです。
優曇華についてはこちらの記事でも紹介しています。
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