内緒の語源は仏教から|「内緒にしてね」は仏教ではどんな意味?
誰かに秘密がばれてしまったとき、「このことは内緒にしてね」と使う「内緒」という言葉。
語源は仏教の「内証(ないしょう)」または「自内証(じないしょう)」という言葉にあります。
「内証」とはどんな意味で、どうしてそれが「内緒」になったのでしょうか。
内証が内緒になった訳
仏教で「内証」とは「仏の悟りの境涯のこと」や「自分の心の内の悟り」を表します。
それが他人から見えない心の内、秘密に各自が心で思っているという意味になり、さらに人気のない場所、家計、個人的な事情、妻など表に出さないものを表すようになりました。
そして「ないしょう」と発音していたものが「ないしょ」に変わり、「内緒」「内所」という字があてられるものになりました。
お釈迦様の内証の話
お釈迦さまは35歳12月8日に仏の悟りを開かれ、仏の悟りによって知らされたことを私たちに伝えていかれました。
その中で最初のご説法である『華厳経(けごんきょう)』についてこのような話があります。
『華厳経』の特徴は「難解」であることです。
あまりにも難しく、誰も理解できないために、『華厳経』の説法を聞いていた聴衆は皆「如聾如唖(にょろうにょあ)」になった、と言われています。
「如聾如唖」とは、「耳が聞こえず、しゃべれない人のようになった」、俗な言葉で言うと“あっけに取られてポカーンとしてしまった”ということです。
なぜ大衆がそんな状態になったのか。それは、お釈迦さまが「内証」を語られたからです。「内証を語る」とは、悟りの境地をそのまま説かれた、ということです。
さとりには全部で五十二の位があり、その最高無上のさとりが「仏覚」=仏の悟りです。
さとりの位が一つ違うと、人間と虫けらほど境界が違うと言われます。例えば私たち人間が犬に携帯電話の使い方をこんこんと説明しても、犬にはとても理解できません。
深遠なさとりの境地をそのままぶちまけられた聴衆は、訳が全く分からず「如聾如唖(にょろうにょあ)になった」と言われるのも、うなずけるでしょう。
お釈迦さまは相手が理解できないことはご承知の上で、あえてそのような話をされました。
それはなぜか。仏法を聞く受け心を作られるためでした。
その日集まっていた人たちはお釈迦さまのお話を真剣に聞こうという人はおらず、「聞いてやろう」「間違っていたらオレが正してやる」という心だったのです。
そこでまず、下向きの心を上に向けて仏法を聞けるように、お釈迦さまはあえてこのような説法をなされたのです。
茶碗が下に向いていると、どれだけ水を注いでも、茶碗に水が入ることはありません。下に向いていた茶碗を上に向けることによって、水をそそぐと、茶碗に水が入るようになります。
お釈迦様は、受け心を調えられたのでした。
『華厳経』は高邁なさとりの境地をそのまま説かれた内証の発露でしたから、よく聞き得たのは文殊(もんじゅ)と普賢(ふげん)の二菩薩のみで、ほかに理解する者は誰もおらず、皆「如聾如唖」。
しかし分からないなりにも、何か尊い、深いことを説かれているに違いないことだけは感じ取っていたのでしょう、ご説法中に眠りこけたり、途中で座を離れたりする者もまた、誰もいなかった、と言われます。
このような説法から始まったのが仏教で、そのお釈迦さまの説法の記録がお経です。
お経の成り立ちについてはこちらの記事で解説しています。
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