良いことをしたのに気分が悪くなっていませんか?|見返りを求めない心がけ三輪空
レミオロメンのボーカルとして知られ、現在はソロ活動をしているシンガーソングライターの藤巻亮太さん。
藤巻さんは、「日日是好日」という仏教用語のタイトルの2枚目のアルバムを作ってから、仏教に関心を持つようになったとあるコラムで綴っていました。
その後、チベットを旅行する機会があり、チベットでは親が子に「まず植物と動物を労わり施しなさい」と教えるのだと聞いて最も心に残ったそうです。
その心は、見返りを求めず、ただ与えることを学ぶところにあるのだとか。
人間に施しをすると、私たちには見返りを求める心が起きてくるのです。
では、見返りを求めることはなぜよくないのでしょうか。
仏教には何が教えられている?
仏教では「廃悪修善(はいあくしゅぜん)」が教えられます。
「悪いことをやめなさい、良いことを行いなさい」ということです。
なぜそのように教えられるのかといえば、因果の道理が仏教の根幹だからです。
因果の道理について詳しくお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
お釈迦さまは原因と結果の関係を次のように教えられています。
「善因善果 悪因悪果 自因自果」
良いことをすれば良い結果、悪いことをすれば悪い結果、自分のした行いの結果はすべて自らが受けていかなければならないもの、ということです。
私たちは幸せを求めていますから、この教えがよく分かれば分かるほど、「悪いことをやめよう。良い行いに心がけよう」という気持ちになるのです。
お釈迦さまが説かれた6つの行い
では、お釈迦さまが善と言われるのは、どんな行いなのでしょうか。
「諸善万行」とも言われ、お釈迦さまは生涯でたくさんの善を教えられたのですが、たくさんありすぎても何をしたらいいか分からなくなってしまいます。
そこで、たくさんの善を6つにまとめられたのが、「六度万行(ろくどまんぎょう)」です。
布施(ふせ):親切
持戒(じかい):言行一致
忍辱(にんにく):忍耐
精進(しょうじん):努力
禅定(ぜんじょう):反省
智慧(ちえ):修養
六度万行についてお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
六度万行の中でも、他人に与えることを言われたのが「布施」です。
「普施」とも書きますが、広く他人に施しをすることを言われます。
お金でも、物でも、笑顔でも、労働力でも、相手のためを思って施すのは良い行いだと教えられているのです。
見返りを求める心の正体
ところが私たちには、そんな良い行いを台無しにしてしまう心があります。
それこそが「見返りを求める心」です。
見返りを求めるということは、私がした施しに対して、お礼やお返しを期待するということです。
これだけの施しをしたのだから、これぐらいの返礼はあってもいいはずだ、と無意識に計算しているのですね。
誰にでも覚えがある心ではないでしょうか。
実際にお礼の言葉を言われたり、お返しを受け取ったりすれば満足すると思います。
では、もし、お礼がまったくなかったらどうでしょうか。
私がせっかくしてあげたのに、この人は何も感じないのだろうか。
お礼の一言もないなんて、なんて失礼な人なんだ。
このように不満となり、怒りの心が起きてくるかもしれません。
仏教では怒りの心を瞋恚(しんに)と言われ、悪い行いだと教えられています。
他人に施しをして、せっかく良い行いをしたのに、怒りの心が起きてしまったら、台無しです。それでは残念ですよね。
施す時の心がけは三輪空
だからこそ、お釈迦さまは布施をする時の心がけとして三輪空(さんりんくう)を教えられています。
三輪空とは、他人に施しをした時、3つのことを忘れなさいということです。
その3つとは、
・私が(施者)
・誰々に(受者)
・何々を(施物)
です。
私たちは、自分が施したことはずっと覚えています。
ところが、自分が施しを受けたことは簡単に忘れてしまいます。
それでは自分も気分が良くないし、相手にも怒りの心を起こさせてしまい、1つもいいことがありません。
施した恩は思ってはならない。
受けた恩は忘れてはならない。
そういう心がけでお互いが過ごしたら、もっと気分よく過ごせるかもしれませんね。
こちらの記事では、お釈迦さまの時代の物語を通して、見返りを求める心がなぜよくないのかを解説しています。
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