必要なのはアキラメではなく正しい対策|アキラメルの語源「諦観」
この夏放送されている「Heaven? 〜ご苦楽レストラン〜」というフレンチレストランを舞台にしたドラマがあります。
型破りなオーナーとその従業員たちとの人間模様を描いたコメディですが、オーナーの言動に振り回される従業員たちがよく浮かべるのが「諦観(ていかん)」の笑みです。
このドラマの中では、傍若無人なオーナーに対し、反論や抵抗するのをアキラメた時に「諦観」の笑みが出てきます。
「諦観」はアキラメ?
「諦める」という言葉がありますが、この言葉の語源となったのが仏教の「諦観」です。
では、元々の意味もアキラメるという意味だったのでしょうか?
実はまったく正反対の意味があるのです。
「諦」とは「あきらか」、「観」は「みる」ということですから、「諦観」には「あきらかにみる」という意味があります。
これは、真理をあきらかに見るということ。
ここには、見切りをつけるとか、断念するという意味はないのです。
あきらかにみるべき真理とは?
ここで、あきらかに見なさいと言われている真理とは、因果の道理のことです。
因果の道理は、「仏教の根幹」とも言われ、お釈迦さまが説かれた仏教を貫く教えです。
道理とは、仏教の言葉で「三世十方を貫くもの」ということ。
いつでもどこでも変わらないものに対して使われるのが道理です。
因果とは、文字通り原因と結果ということです。
原因と結果には、「どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる結果は万に一つもない」という関係があります。
因果の道理について、より詳しくお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
この因果の道理という真理をあきらかに見なさいよ、というのが諦観の意味なのです。
アキラメではなく正しい対策を
意地の悪い上司のもとに異動になった、財布を落とした、など、何か悪い結果を受けた時に、それはどうしようもないからアキラメルしかないね、と言ったりします。
しかし、語源となった諦観の意味で考えれば、それは正しい使い方ではありません。
財布を落としたことにおいても、人間関係においても、それは一つの結果ですから、必ず原因があるのです。
財布にチェーンをつけていなかったとか、カバンの中が整理できていなかったとか、財布を落としたことには必ず原因があるでしょう。
財布を落とした結果に落ち込んでいるだけでは、きっとまた同じことを繰り返してしまいます。
そうではなく、原因をあきらかに見て、対策を立てるのです。
たとえ相手が意地の悪い上司であったとしても、中には、その人とうまく付き合っている人がいるはずです。
なぜ、あの人はあの上司とうまく接することができるのか。
なぜ、自分はあの上司とうまくいかないのか。
その違いを比べるだけでも、対策が見えてくるでしょう。
諦観を心がけ、原因と結果の関係をありのままに見れば、正しい対策ができるのです。
アキラメか、諦観かで結果は大変わり
このように、諦観にはアキラメとはまったく正反対の前向きな意味があります。
悪い結果が来たことに対し、仕方がないとアキラメることは本当の意味での解決ではありません。
自分の中に必ず、後悔やモヤモヤとしたものが残るでしょう。
悪い結果に対しても、なぜそうなってしまったのかという原因をあきらかに見て、対策を立てれば、結果はおのずと良い方向に変わっていくと思います。
それが正しい諦観の方法なのです。
具体的にどのような行動に心がけたらよいか、こちらの記事でも解説しています。
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