「天上天下唯我独尊」 お釈迦さまの誕生日は4月8日
4月8日は、仏教を説かれたお釈迦さまの誕生日です。
「花祭り」といい、小さな釈迦像に甘茶をかけているのを見たことのある人もあるでしょう。
この日を「花祭り」と呼んで祝うのは、お釈迦さまがルンビニーという花園で誕生されたからです。
このご生誕にまつわるお言葉「天上天下唯我独尊」から、今回は私たちの生まれてきた意味を学びましょう。
こちらの動画でも解説しています。より詳しい説明は記事本文をお読みください。
苦しみの世界を離れて
当時、インド北部で栄えた釈迦族の長・浄飯王(じょうぼんのう)と后のマーヤー夫人には、永らく子供が恵まれませんでした。
ところがあるとき、待望の世継ぎが授かりました。
月満ち、初産だった夫人は故郷の隣国へ里帰りしました。
その帰途にあったルンビニーの花園で突如産気づいた夫人は、後の仏陀、釈迦牟尼となるシッダルタ太子を出産されます。
このとき太子は東西南北に7歩ずつ歩まれて、右手で天を、左手で大地を指さしてこう宣言されたといわれます。
天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此
(天上にも地上にも、人間〈我〉のみの独尊あり。人生〈三界〉はみな苦なり。吾〈釈迦〉当に此を安んずべし)
いかにお釈迦さまでも、生まれてすぐに歩かれたり、話されたりするはずはありません。この話は何を示唆しているのでしょうか。
まず、東西南北に7歩ずつ歩まれたとは、6より1多い「7」に意味があります。私たちの生命は「六道」という迷いの世界を輪廻している、と仏教では教えられています。
「六道」とは「六界」ともいわれ、次の6つの迷界のことです。
○地獄界──最も苦しみの激しい世界(→くわしくはこちら)
○餓鬼界──餓鬼道ともいう。食べ物も飲み物も皆、炎となって食べられず飲まれもせず、飢えと渇きで苦しむ世界
○畜生界──犬や猫、動物の世界。弱肉強食の境界で、常に不安におびえている世界
○修羅界──絶えない争いのために苦しむ闘争の世界
○人間界──苦楽相半ばしている、我々の生きている世界
○天上界──六道の中では楽しみの多い世界だが、迷界に違いなく、悲しみもあり寿命もある
7歩歩まれたとは、この6つの迷界(苦しみの世界)から1歩、出て離れることを表します。すべての人に「人間に生まれた目的は、この六道を出離して真の幸福になることである」と示されたのです。これが「7歩」の意味です。
「ただ私だけが尊い?」
続けてお釈迦さまは、「天上天下 唯我独尊」と仰います。一般に「天上天下唯我独尊」と聞きますと「ただ自分(釈迦)だけが偉い」という意味で、いばって言われたのだと思われていますが、そうではありません。
「実るほど 頭の下がる 稲穂かな」と言われます。
本当に偉い人はふんぞり返って「俺は偉いんだ」などと言わずに腰が低く謙虚なものです。
それなのに世界三大聖人のトップに挙げられるお釈迦さまのような方が、自ら“オレは偉いんだ”などと言われるでしょうか。
これは「唯我独尊」の「我」をどう理解するかで意味が変わってきます。「我」は釈迦だけではなく、私たち人間のこと。
釈迦自身を表す「われ」は、この後の四句目「吾当安此」の「吾」ですから、ここでお釈迦さまは、
「ただ我々人間にのみ成し得る、たった一つの尊い目的(独尊)がある」と仰っているのです。
我々人間の命に差別はなく、皆、平等に尊いということです。
「人間に生まれてよかった」 ──盲亀と浮木のたとえ
生命の尊厳を、お釈迦さまはこうも仰っています。
「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」
(意訳)
生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞けてよかった。今、この世で生きる目的を果たさなければ、いつの世でできるであろうか。永遠の幸せになるチャンスは今しかない
「人身受け難し、今已に受く」
とは、生まれ難い人間に生まれることができてよかった、という生命の歓喜です。
いかに人間に生まれ難いか。お釈迦さまは『雑阿含経』に、有名な「盲亀浮木の譬喩(ひゆ)」で説かれています。
あるとき、お釈迦さまがお弟子に
「例えば、大海の底に1匹の目の見えない亀(盲亀)がいて、100年に1度、海上に浮かび上がるのだ。その海には、1本の浮木が流れている。その木の真ん中にはひとつ、穴が開いている。目の見えない亀が100年に1度浮かび上がったとき、ちょうどその浮木の穴へ頭を突っ込むことがあるだろうか」
と尋ねられました。阿難という弟子が、
「そんなことは毛頭、考えられません」
と答えると、お釈迦さまは、
「誰でも、そんなことはありえないと思うだろう。だが何億兆年よりも永い間には、絶対にない、とは誰も言い切れない。人間に生まれることは、これよりも難しい。有り難いことなのだよ」と仰っています。
私たちが日常、口にする“ありがとう”は、仏教から出た言葉で、本来は“有ることがまれである”の意味です。
「他人から何か施してもらうことは、めったにない、有り難いことである」
ということで、ここから転じて「ありがとう」が感謝の言葉となったのです。
人間に生まれたことはいかに有り難いか、数の上から考えてみましょう。
例えば地球上には、およそ137万種の動物が確認されており、未発見の生物種も含めれば800万種以上ともいわれます。
その中の1種、魚のマンボウだけでも、メスが一度に産む卵の数は3億個。人間とは比較にならぬ個体数が生息しており、全ての動物の総数となれば、計測不可能でしょう。そういうありえないほどの確率で人として生まれた命ですから、親鸞聖人が大変尊敬されている平安時代の高僧・源信僧都は、「まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり」と人間に生まれたかけがえのない命を喜んでいらっしゃいます。
「仏法聞き難し、今已に聞く」
と続くのは、生まれ難い人間に生まれた意味を説く仏教を聞いてこそ、命の尊厳が真に知らされますから、聞き難い仏法が聞けてよかった、の喜びとなります。
どんな人もこの世で最高の幸福になれる
「天上天下 唯我独尊」のあとにお釈迦さまは、「三界皆苦 吾当安此」と言われています。
「三界」とは、「苦海」「苦界」ともいわれ、私たちが住む世界を、3つに分けて教えられています。
○欲界──さまざまな欲望のみで生きている世界
○色界──「色」とは物質のこと。分かりやすく言えば、絵画や彫刻、音楽、文学などの芸術の世界。やはり苦悩の世界
○無色界─物質を超越した精神の世界。いわゆる哲学、思想の世界。三界の中では最も高尚だが、「人生の目的」「真の幸福」は明らかにされていない
いずれも苦しみ迷いの世界ですから、「皆苦(皆、苦なり)」と言われます。
「三界は火宅の如し、安きことなし」とも経典に説かれています。
しかし、お釈迦さまは、この三界にいながら、誰もが本当の幸福になれるのだよ、と
「吾当安此(吾当に此を安んずべし)」
と仰います。
仏教を聞けば、苦しみの六道を離れ、どんな人も本当の幸せになれることを、ここで断言されているのです。
先の「人身受け難し」のお言葉では、「この身今生に向って度する」と表されています。
「此を」「この身」「今生に」とは、いずれも「この世で」ということであり、「安んず」「度する」が本当の幸福になったこと。
生きている今、男女、年齢、貧富の差、人種や民族に関係なく、誰でも絶対の幸福になれる。これが、私たちが人間に生まれてきた本当の意味であり、今がこの幸せになれる最大のチャンスです。
仏法を聞けば、「天上天下、この広い大宇宙で、今、私が生まれてきたのは、この幸せになるためであった」と心から喜べる人生が開かれるのですよと、釈迦誕生のエピソードで教えられているのです。
まとめ
「天上天下唯我独尊」はお釈迦さまがお生まれになったときに言われたお言葉とされています。
一般的には「この世界でただ自分だけが偉いんだ」という意味で使われますが、仏教本来の意味では
「この世界でただ人間のみが果たしうる尊い目的があるのだよ」
とお釈迦さまが人間に生まれたことの有り難さ、尊さを教えられたお言葉です。
「天上天下唯我独尊」と心から言えるようになるまで仏法を聞いていただきたいと思います。
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