「縁起がよい」「縁起が悪い」「縁起をかつぐ」の「縁起」とは
「縁起がよい」「縁起が悪い」「縁起をかつぐ」という言葉をよく耳にします。
茶柱が立ったら縁起がいい。
黒猫やカラスに出会うと縁起が悪い。
あるいはマナーとして贈り物には縁起のいいものを贈る。
お見舞いに縁起の悪いものはダメ、など多かれ少なかれ縁起を気にして生活しています。
「縁起」は元々仏教から出た言葉です。
しかし現在使われている意味と元の意味とでは意味が変わっています。
仏教で使われる「縁起」を説明したいと思います。
「縁起」の意味
「大辞林」によりますと、まず3つの意味が紹介されています。
1.物事の吉凶の前兆。きざし。前ぶれ。
「縁起がよい」「縁起が悪い」
「縁起をかつぐ」とは、吉凶にとらわれる、縁起がいいとか悪いとかを気にすることをいいます。
2.社寺の起源・由来や霊験などの言い伝え。また、それを記した文献。
「信貴山縁起」は有名です。
信貴山縁起(しぎさんえんぎ)は、平安時代末期の絵巻物で、2016年現在、日本の国宝に指定されている。『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つと称される。朝護孫子寺が所蔵(原本は奈良国立博物館に寄託されており、当山内の霊宝館では複製を展示)。「信貴山縁起絵巻」とも称する。
(wikipediaより)
3.事物の起源や由来。
仏教で「縁起」とは
「大辞林」には、4番目に紹介されています。
4.因縁によってあらゆるものが生ずること。
縁起とは因縁生起(いんねんしょうき)を略したものです。すべてのものは、因縁によって生起するということです。
経典には、以下のような言葉があります。
一切法は因縁生なり。『大乗入楞伽経(だいじょうにゅうりょうがきょう)』
一切法とは、万物、すべてのものです。すべてのものは、因縁によって生じているということです。
これを因縁果(いんねんか)の道理ともいいます。
どんな結果にも、必ず因と縁がある。因と縁がそろってはじめて結果が生じる。これが道理、いつでもどこでも成り立つことである。因だけでも結果は生じない、縁だけでも結果は現れない。因と縁がそろって結果が生じる。これが因縁果の道理です。
米に例えると、米の因はモミダネです。モミダネだけでは、米はできません。モミダネが米になるには、水、土、日光などが必要です。これらを縁といいます。縁は、因が結果を生み出すのを助ける働きをいいます。
私たちの日常生活の因縁果の道理は、次のように教えられています。
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあくか)
自因自果(じいんじか)
よいタネをまけばよい結果が現れる。悪いタネをまけば悪い結果が現れる。
大根のタネをまけば大根が出てくる。スイカのタネをまけばスイカが出てくる。
まいたタネに応じたものが生えてくるということです。
自因自果とは、自分のまいたタネの結果は自分がかりとらねばならないということです。
ここで、因とは行い、果はわかりやすくいうと運命です。
よい行いをすればよい運命、悪い行いをすれば悪い運命が現れる。
よいのも悪いのもすべて、自分に現れる運命は、すべて自分の行いが生み出したものである。
仏教では、「よい結果がほしければ、よい行いをしなさい。悪い結果が嫌ならば、悪い行いをやめなさい」と廃悪修善(はいあくしゅぜん)を教えられています。
仏教の「縁起」は「縁起がよい」「縁起が悪い」を否定する
因縁果の道理を仏教では「縁起」といいます。仏教の「縁起」は、吉(善果)は、よい行いが生み出すものであり、凶(悪果)は、悪い行いが原因であると教えます。ですから、仏教では、縁起をかつぎません。
仏教は、今日はもともといい日だった、もともと悪い日だったという日の善悪を否定しています。カレンダーに「仏滅」とあると、仏教と関係があると思いがちですが、仏教では、仏滅の日だからといって、悪い日とは教えていません。廃悪修善の心がけ次第、「日々これ好日(こうじつ)なり」、毎日、心がけ次第でよい日になる、これが仏教の「縁起」です。
まとめ
廃悪修善に心掛けて、自分で「縁起」をコントロールしましょう。
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